南米ギアナ高地に行くというのは長年の夢だったが、具体化したのは2010年11月頃に自称 辺境観光旅行家の友達のO君と彼がキリマンジャロに登った時の話を餌に飲んだ時のことだった。僕がギアナに行くのが夢だと話したら 彼も実は次回は南米のアマゾンかギアナに行こうと思っていると打ち明けられた。自分は登るのではなくヘリコプターでロライマ山の頂上大地にでも行って写真を撮れればよいと思っていたが彼はその時から登ることを考えていたようだ。その日はそれ以上何も具体的な話がなかったが、数日後また会うことになりアウヤンンテプイを登るのはどうかという話を持ちかけられた。ちょうどその頃NHKBSで世界の名峰グレートサミッツという番組がありアウヤンテプイが取り上げられていた。二人ともその番組を観ていたため行ってみたいという気が強くなった。しかしトレーニングを始めたり登山用具なども用意しなければならないななどと思っているうち年が開け 自分はカワセミ撮りに夢中になり しばらく旅行のことは忘れていた。彼も現役なので休暇の都合が取れないのだろうと思い今年のギアナ行きはないなと考え始めていた6月頃 彼から連絡が入り、今年行かなければならないと言う。 休暇の日程が取れそうなのとベネズエラのチャベス大統領が癌で入院してキューバで治療を受けているが、彼が死んだら国が混乱して入国できないかもしれないとと言うのが彼の意見だ。それからはあわただしくなり現地ツアーガイドの選定、フライト、ホテルの手配を始めた。現地トレッキングツアーガイド6グループほど旅行内容を知らせ料金とサービス内容を取り寄せた。 最終的に選んだのは一番安かったExplora
Treksでここはプロの登山家やロッククライマーを主な顧客にするようなところであったが、決め手になったのは安かったこともあるがNHKのグレートサミッツのアウヤンテプイ取材でメインのガイドを務めたのがこのツアーガイドを主催するヘンリーゴンザレス氏だったことによる。グレートサミッツのDVDで彼がインタビューを受ける時着ていたジャケットにExplora
Treksのロゴマークが付いているのを発見した。これなら大丈夫だろうと思い料金を送金する。余分のお金を持って もしカラカスで誰も出迎えに来なければ騙されたと諦め現地でロライマ山のツーアーにでも行こうと言う事にした。 その間ザイルを使うので旅行保険が加入出来る出来ないとかでもめたり10月に鎖場の練習のため登った両神山で膝のじん帯を痛め その後すぐびっこを引いて宮城のボランテアに行って何とか終えたら今度は風邪をこじらせ咳がなかなか止まらず(医者はアレルギーと言っているが)体調不十分のまま12月21日ギアナ行きは決行された。日本も世界地図上辺境の地であるがギアナはちょうど反対側の辺境の地である。 同じモンゴロイド族に属するDNAが日本とギアナに辿りついたと考えるのは面白い。アウヤンテプイの壁は高かったが、スペイン語という壁がこれほど高いとは思わなかった。 このギアナ高地旅行記はギアナ紀行と文学的な表題にしているが、ずっこけ珍道中と言ったほうが良いような所もあるし地獄の特訓体験記と言える部分もあるので表題は気にしないでいただきたい。今後 4,5回に分け掲載していく予定である。 尚 文責は写真を基にした自分の記憶であり事実誤認があるかもしれない その内O君から指摘があるだろう。 彼は口述録音機器を持って録音しているので暇が出来たらチェックしてくれるだろう。 文中の人名は発音でしか分からないケースが多いのでアルファベットの頭文字(これとて怪しいが、スペイン語ではJをHで発音したりする)で表記する。 あまり良い写真は撮れなかったが写真には一応機種名を入れておいた、実際山行きではスマホ(Galaxy S)などしか使えないケースもあり、その内O君の写真を自分のではカバーしていない部分に使用させてもらう予定だ。また日時は日本時間を基にしており実際の現地時間は13.5時間マイナスしたものとなる。 という訳でこのギアナ紀行はこれからたびたび加筆訂正されることになると思うのでご了承下さい。尚 家では自由人と言われているが 今回のギアナ行きに文句も言わず心配だけかけた家族に感謝します。 |