高度に発達した社会でもリーマンショックや福島原発など想定外のことは起こる。いわんやこの辺境の地ではリスクに対するさまざまな備えは十分整備されていないので一々騒がず別の手立てを考えた方が良さそうだ。 アウヤンテプイの入り口にようやくたどり着いたと思ったら 担当ガイドの怪我、荷物が届かないという問題が我々の前に立ちふさがった。 |
成田国際空港出国ロビーにて Galaxy S 2011 12 21 16:20 2011年12月21日17時 コンチネンタル航空でヒューストンに向け旅立つ。 国際空港では近年益々チェックが厳しくなり奴隷か囚人にでもなったような気分にさせられる。チェックインカウンターで機内預け荷物の中にリチウムイオンバッテリー(EOS5D用6個、α55用6個)があるのを手荷物として手で持って行くように指示され あわてて荷物の詰め替えをしてバッテリー12個を床にぶちまけてしまい周りの人から不審の目を向けられる。 |
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ヒューストンよりカラカスに向けて飛ぶ α55 2011 12 22 19:38 ヒューストンでカラカス行きに乗り換えるのだが9時間ほど乗り換えの空き時間があるので予約していた近くのホテルにチェックインしシャワーと仮眠を取る。真夜中カラカスに向け飛び立ち朝6時過ぎカラカスに到着。 出発する直前まで誰が迎えに来るか連絡が入らなかったのだが いつもこの旅行についてEメールをやり取りしていた当の本人であるD氏が迎に来ていた。シウダボリバルのプエルト・オルダス空港までの搭乗手続きをしてくれる。搭乗口が変わることがあるから注意するようにと言われたが実際搭乗口がボーディングチケットに記載されているものから変わったのには驚いた。 |
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シウダーボリーバルの空港待ち合わせロビーにて。 NHKの取材の影響かいやに日本趣味である。 α55 2011 12 23 5:30 プエルト・オルダス空港でExplora Treks に雇われたと思われる運転手が迎いに来ておりシウダボリバルに向け出発するが 僕らがベネズエラの通貨であるボリバールを持っていないことが想定外のようでポーターへのチップなど自分で立替払いし 運転しながらD氏に携帯でスペイン語でなにやらまくし立てていた。高速を120キロ以上出してハンドルを振るので肝を冷やした。携帯を差し出すのでD氏と話すとシウダボリバルで両替する所に連れて行くから彼にチップ100ボリバール(公表レートでは1,800円位)払ってくれと言う。了解したと運転手に言うとようやく運転も落ち着いた。 |
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シウダボリバルのホテルにて α55 2011:12:23 06:52 シウダボリバルはギアナ高地への玄関のようなものである。人口27万人ボリバール州の州都でもある。スペインから開放した英雄シモン・ボリバルがこの地を臨時首都としたため彼の名を冠した町の名前になっている。 |
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シウダボリバルのホテル ラウンジバーにて α55 2011:12:23 06:54: 階上にあるラウンジバーでビールと軽い食事を注文する。 このビールは旨い。2,3本飲んでほろ酔い加減になる。ベネズエラでは何種類かのビールを飲んだがこのビールが一番だ。 |
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黄昏のシウダボリバルの市内 ホテル ラウンジバーにて α55 2011:12:23 07:14 このホテルはギアナ高地に行く旅行者が多く滞在するのか ギアナ旅行中の余分な荷物を預かってくれる。 夜O君の情け容赦ない仕分けが始まり大きなスーツケースに不必要と思われるカップラーメン、カロリーメート等の食料、冬着や下着類を詰めホテルに預けることにした。 |
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ホテル内にあったクラシックカー α55 2011:12:23 20:30 シウダボリバルの空港からウルジェン(現地の人はウルヤンと呼ぶ)キャンプまでは朝7時半発のセスナを予約していたので7時にはホテルに車が迎いに来るよう手配されていた。しかし昨日の運転手は7時を過ぎても来ずホテルの電話をかりてカラカスのD氏に連絡をすると今そっちに向かっているから心配するなと言う。7時半過ぎにようやく迎いが来たが案の定7時半のセスナには乗れなかった。Explora Treks から連絡が入っていたのか二人分の空きがあれば突っ込むことになっているのか 待合ロビーに居れば呼びに来るということだった。 2杯目のコーヒーが手元に届いたとたん これからセスナにに乗れと言う連絡が入る。 |
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ウルジェン行きセスナにて α55 2011:12:23 22:05 セスナに向かうと機内はすでに3人プラス赤ちゃんと彼らの荷物で満杯であり、我々は手荷物を膝の上においてようやく乗り込むことが出来た。空港カウンターでチェックインした我々の荷物はどうなるのだろうと考える暇もない。 |
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ウルジェン行きセスナにて α552011:12:23 23:10 飛行時間は約1時間半であるが、途中何度も厚い雲に突入して機体が振動したが慣れているのか御覧の通り寝ている。 大型旅客機でも揺れるのに小型セスナは木の葉のように翻弄される。突撃パイロット(と以後彼のことを呼ぶことにする)は楽しむかのように果敢に雲に突っ込む。 |
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ウルジェン行きセスナにて α552011:12:23 32 いよいよ秘境に入ってきた。 小さな滝が機内からも見えた。 |
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カバック村飛行場 α55 2011:12:23 23:42 カバック村で家族を降ろし我々はここからさらに10分ほど飛んだ所にあるウルジェン村に行く。この飛行場にいた陽気なパイロット(と以後彼のことを呼ぶことにする)に我々の荷物のことを聞くとカーゴ便も飛んでるから心配するなと言う。 |
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ウルジェン村飛行場より α55 2011:12:23 23:50 3日掛かりで漸くアウヤンテプイに登る起点となるウルジェン村に着いた。 ウルジェン村に降り立って初めて実際のアウヤンテプイを見た感動は忘れられない。その堂々とした佇まいは山と言うよりは自然の砦であり城砦である。人間の侵入を阻止しようという力が感じられる。 |
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ウルジェン村飛行場待合室より α55 2011:12:23 23:53 第一村人発見。ここには10程のコテージがあり どうも今日は我々だけが滞在者のようだ。ウルジェンキャンプとも言われるようにに滞在者がいる時だけ近くの村から手伝いに来るようだ。滞在者がいなければ無人の村となる。 以後ウルジェン村と呼ぶことにする。 |
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ウルジェン村飛行場待合室より α55 2011:12:23 23:53 我々の担当ガイドがまだ来ていない様なので村の周りを歩いてみることにした。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:23 23:54 トイレを探すが左側の小屋がそれらしく見えたので行って見る。 確かに共同便所のようなものがあったが あまりきれいではない。どこからか見ていたのか女の人(以後 Eお母さんと呼ぶ)が一つのコテージを案内してくれて そこのトイレを使えと言う。 コテージにはどこも鍵が掛かっていない。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:23 23:55 ウルジェン村より遥かグランサバナを望む。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:23 23:57 村はきれいに整備されており 今が乾季で観光のハイシーズンだと聞いていたが観光客がいないのが不思議な気がする。 後で聞いたのだがウルジェン村には年間約150人程の人がアウヤンテプイのトレッキングをしに来ると言う。年に一組位は日本からも来ると言うが、いかに訪れる人が少ない所なのかを物語っている。 |
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ウルジェン村よりアウヤンテプイ砦を望む α55 2011:12:23 23:58 アウヤンテプイが他のーテーブルマウンテンと違いが際立っているのがこのそそり立つ様な岩の砦だと思う。頂上大地は東京23区以上の敷地面積を持ち世界最高落差のエンジェルホールを持つギアナ高地最大のテーブルマウンテンである。アウヤンテプイはインディオの言葉で「悪魔の山」という意味だ(ペモン族はアチンテプイとも言い「熱い山」という意味らしい)。頂上では天候が変わるのが激しく晴れたり雲が出たりとめまぐるしく変わりその 全容も刻々と変わる。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:23 23:58 作業小屋の横に車が置いてあったがたぶん動かない廃車だろうと思っていた(後で使われることになったのだが)。道路らしきものもない。飛行場も似たようなものでセスナの車輪跡が滑走路のようなものである。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:23 24:00 共同便所横の櫓が給水塔のようであり 水は発電機を回して川の水を吸い上げて貯水槽に溜めるようだ。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:24 この木の後ろに川があり炊事、洗濯、洗顔、水浴びに使われる。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:26 カフェラウンジみたいなところがあり ようやく滞在者として認知されたのかコーヒーが出てきた。ベネズエラのコーヒーはさすが本場でとても美味しい。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:46 給水塔から水が零れ落ちるのを何度か見たが、発電機による川からの給水は給水塔の桶から水が零れ落ちると止めるようだ。 |
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ウルジェン村 飛行場待合室 α55 2011:12:24 00:49 カーゴ便もガイドもなかなか来ない。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:50 この村にはなかなか面白い木が旨く配置されていると思う。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:50 カフェラウンジ裏よりアウヤンテプイを望む。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:56 白雲にセスナの機影。 カーゴ便か?しかし結局ここには着陸しなかった。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 00:59 村の人はセスナがこの村に着陸するかどうか分かっているように見受けられる。 どうも無線ラジオを聞いて情報を得るらしい。それ以外はウルジェンと隣のカバックは通信手段がまったくなく 電話、テレビ、インターネットなどはここから車で2時間程の所にあるカマラタまで行かねばならない。 |
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ウルジェン村カフェラウンジにて α55 2011:12:24 01:11 今晩の我々の滞在の面倒を見てくれる Eお母さんとその家族。他にも息子さんが2人いるはずだが詳細は不明。ここから1キロ程離れた川向こうの村に住んでおりウルジェン村に滞在者があれば面倒を見に来るようだ。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 02:41 そうこうしている内に担当ガイドのJ氏が来た。 スペイン系ヴェネズエラ人で現地の人と結婚してカナイマに住んでいるという。 長髪で48歳には見えない容貌をしている。 |
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ウルジェン村 α55 2011:12:24 03:07 ウルジェン村全景。 |
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ウルジェン渓谷に向かうガイドのJ氏とO君 α55 2011:12:24 04:01 2時半ごろショートトレッキングをすることになり部屋に荷物をおいて出かける。 まだ日差しはかなり厳しい。彼は自分のことを野人と言うだけあって裸足で行く。これが後で痛い目にあうことになるとは誰も知らない。最初はグランサバナ地帯をアウヤンテプイに向けて歩く。 足取りが軽やかでかなり早い。登山靴で歩くのでかなり早足で行かなければ追いつけない。我々の脚力を試しているのかもしれない。 |
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グランサバナ α55 2011:12:24 04:05 アウヤンテプイが我々の前に立ちはだかる。 この道は車輪跡が道になったようなものだ。アウヤンテプイを登るには この道を行くのではなく 左手のサバナを横切りかなり迂回して行かなければならないそうだ。 |
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ウルジェン渓谷 α55 2011:12:24 04:41 丘陵地帯に入ってきた。歩くのが早く先のほうでまだかとこちらを見ているので写真を撮る暇もない。 |
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ウルジェン渓谷 α55 2011:12:24 04:43 山間からそびえ立つアウヤンテプイのクリフを望む。 |
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ウルジェン渓谷 α55 2011:12:24 04:44 少し登りになる。 この丘を越えると川にぶつかる。 |
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サンダル片方紛失 PX 2011:12:24 05:08 固定式のサンダルをリュックの両脇にぶら下げてきたのだが片方を途中どこかで落としてきたようだ。片足裸足で川に入ってみるが裸足で川の中を歩くのは結構痛い。 写真はO君提供。 |
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ウルジェン渓谷 川を渡るガイドのJ氏 α55 2011:12:24 05:19 ガイドのJ氏が ここから15分程の所に小さな滝があるので行こうと言う。登山靴を濡らすのが嫌だったので自分はここで待つことにする。 O君は海パンになり専用サンダルに履き替えJ氏と一緒に出発した。 |
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ウルジェン渓谷 α55 2011:12:24 05:28 なかなか綺麗な石があるが 表面は意外とぬるぬるして滑りやすい。 暫らくするとO君が真っ青な顔をしてJ氏が足に大怪我をしたので これから村に帰り屈強な大人を連れてくるから僕のリュックを持っていってくれとリュックを差し出すや 海パン一丁で村の方に駆け出した。 |
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ウルジェン渓谷からの帰り道 道端の黄色い花 α55 2011:12:24 05:58 二人で肩で支えて連れ戻すことも考えられるが それでも1時間以上の道のりを歩くことになり大変だろうと思い、村の屈強な大人の登場を待った方が良さそうだと納得した。 帰り道の途中で失くしたサンダルの片方を発見。 |
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ウルジェン渓谷 α55 2011:12:24 06:01 この辺りは周りを山で囲まれているせいか意外と日が暮れるのが早い。日が当たらない場所は5時過ぎには夕闇が迫る。 |
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グランサバナ α55 2011:12:24 06:18 行きにあまり写真を撮れなかったので度々立ち止まりシャッターを押す。O君は無事村人の応援を頼めたろうか。 |
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グランサバナよりアウヤンテプイを望む α55 2011:12:24 06:21 歩いてきた道を振り返る。アウヤンテプイの砦は何事もなかったがごとく 行きと同じように晴れ渡っている。 |
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アウヤンテプイ頂上 α55 2011:12:24 06:22 これを垂直に登るのが最短距離なのだが ロッククライマーでもなければ登れそうもない。 |
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グランサバナ α55 2011:12:24 06:32 振り返ってアウヤンテプイを望む。 かなり歩いてきたので そろそろウルジェン村である。しかし まだ救援隊は見えない。 |
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グランサバナ α55 2011:12:24 6:32 そろそろ山に日が沈みかけている。とその時ガタガタとトラックがこちらに向かって疾走して来る。 やり過ごそうとすると荷台に乗れという。 荷台に飛び乗るや車の後を追いかけてきた犬のオソノ(と聞こえたのだが)が止まった車の荷台にピョンと飛び乗ってきた。 みんながオソノに降りろというのを僕がかばいオソノと一緒に荷台に乗る。トラックは作業小屋の横に廃車のごとく置いてあったトラックだ。 |
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救援隊の荷台のオソノ α55 2011:12:24 06:40 O君は助手席に乗っており(ドアは針金で固定されており間単に開けれないようだ)、運転は長男(17,8才?)、荷台にはEお母さんと二人の息子(12〜15才?)それにオソノという陣容で屈強な大人はいなかったが 僕はいたく感動してこれほど強力な救援隊はないと思った。困ったときは皆で助け合うという現代の我々に欠けている当たり前のことを彼らは自然に実践している。 サバンナの端まで車で行ければ我々の力でもJ氏を救出することは可能だと思った。でこぼこ道で荷台から飛ばされそうになるのを必死で耐え、どうやって連れて来ようか考えを巡らした。 |
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ガイドのJ氏とEお母さんの息子たち α55 2011:12:24 06:47 暫らく行くとなんとガイドのJ氏が杖で支えながら足を引きずってこちらに向かってくるではないか。 みんなで荷台に引き上げるとさすがに顔色は悪いが やはりプロのガイドである傷口を絆創膏で応急処置して タガーナイフで器用に木の枝を立派な杖に仕立てており、”俺は戻ったぜ” と野人らしいことを言い放った。しかし傷は深く骨が見えているそうだ。 |
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夕闇せまるウルジェン村 α55 2011:12:24 06:58 ウルジェン村で一度降り J氏に病院のあるカマラタ村まで行きそこで今日は泊まるように勧めるが 病院には泊まる施設がないので自分の住んでいるカナイマまで行く行かないで押し問答が続いたが、いずれにせよ我々のガイドのことは忘れ治療に専念するよう言って別れた。 あの車でこれから暗い夜道をカマラタまで行けるのだろうか一寸心配になった。 |
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夕闇せまるウルジェン村 α55 2011:12:24 07:21 O君の話ではウルジェン村にたどり着いたところ人がいないのでさらに先のほうまで行くと川が立ちふさがり途方にくれていると川向こうに民家が見えたので あらん限りの声で助けを呼んだそうだ。Eお母さんが出てきたので手をX(バッテン)にしてJ氏の名を叫んだが通じず やむなくジェスチュアーで地面に倒れこんで足が痛いとバタバタやったらようやくJ氏が怪我をしたことが分かったようで、すぐに息子たちを先にウルジェン村に送り車を出せるようにさせたという。 Eお母さんとO君がウルジェン村に戻るまでには子供たちがタイヤに空気を入れ、重油を燃料タンクに入れコンプレッサーを動かしていたという。残念ながらO君の一世一代の大芝居の演技の写真はない。 |
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夕闇せまるウルジェン村 α55 2011:12:24 07:26 その夜食事を終えた後はEお母さんらは帰り この村の住人は我々2人だけになってしまった。電気がないぶん夜空の星が華やかだ。 水道も貯水槽の水を使い切れば出なくなるだろう。 その夜はJ氏の事や戻ってこない荷物の事などを話して深夜3時ごろまで話し込んだ。カメラ機材は3度もレベルダウンをしているので このような事態になっても諦める事ができるようなものにはしたつもりだが、それでも50万以上はするものなので、O君の経験では保険では10万程度しか戻らないだろう言うので少々悔しくなった。 しかし荷物は戻らなくても今この秘境に自分がいるという事がとても価値あるものに思えて後悔は全然しなかった。明日からここでリゾートも良いかなと本気で考えた。 To be continued |