ネパール・ヒマラヤ写真紀行ー9 ナムチェからルクラクへ Nepal Himalaya poto travelogue- 9 From Namche to Lukla

エベレスト ビューホテルを後にナムチェに戻り 日程が変更になったのでルクラからカトマンズ行きのフライトを変更し ルクラを目指すことになった。行きの時はまだサクラが咲いていなかったが、帰りの道中では満開のサクラやシャクナゲなどを見ることが出来た。 この10日間ほどで一気にヒマラヤにも春が訪れたようである。

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ナムチェを目指して下る

エベレスト ビューホテルからはほぼ一直線に下っていくことになる。途中上ってくる人たちが大勢いたがクンデを経由せずナムチェから直接来ると結構きつい登りである。
パノラマビュー

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ナムチェバザール

ちょっと懐かしいすり鉢状の町並み。
ナムチェの洗濯場とラバの一行

今日も以前来た時と変わらぬ光景である。
The Nest

来た時にも泊まったナムチェのロッジ The Nest。その時は工事中で部屋のシャワーが水しか出なかったが お湯が出るようになっていた。久しぶりにシャワーを浴びる。ここのカプチーノは美味しかった。
もう必要ないと思われるユニクロのウオームパンツと厚手のトッレッキングシャツを欲しいと言うのでポーターガイドのPさんにあげる。小柄なPさん着れるのかな?
ヒラリーブリッジ

ナムチェを発ちパクデンに向けトレック。来る時も立ち寄ったFirst view point of Mt.Everest でエベレストに最後のお別れをし、二重つり橋よりヒラリーブリッジを見下ろす。まだハイシーズンでないのでヒラリーブリッジは使われていない。
サガルマータ国立公園入り口

行きに取得したTrekker's Information Management System (TIMS)を提示してサガルマータ国立公園ともお別れである。
サクラ

モンジョを過ぎた辺りでサクラが咲いていた。来る時はまだ蕾だったのだろうか気が付かなかった。日本人が植えたのだろうか(サクラの原産はヒマラヤとも言われているが)?
シャクナゲ

ベンカールの辺りの小さな滝の周りに咲いていたシャクナゲも満開になっていた。
モクレンのような花

こちらも満開である。
パクデンでポーターガイドのSさんが別のトレッカーのガイドをすることになり我々と別れる。突然決まったようなことを言っていたが実際のところは分からない。 ポーターガイドのPさんが二人分約40キロを運ぶことになった。今まであんなに饒舌だった彼がほとんど道中喋らなくなった。昔はそのくらい良く担いだと言うが二人分のポーターガイド料が手に入るとはいえ 37歳相当堪えた様だ。
テント村

来る時にもあったが大きなテント村である。日本のお笑い芸人のイモトがエベレスト登頂にチャレンジするのでその遠征隊かなと思いポーターガイドのPさんに聞くと、オーストラリアのトレッカー向けのものであるそうだ。エベレスト街道ではオーストラリア人とドイツ人のトレッカーを良く見かけた。
ヒマラヤにもようやく春が来たようであるが、先日エベレスト登山者のためにルートを整備していたシェルパが10人以上雪崩で亡くなると言う痛ましい事故が起こったが、ルートの整備が不完全でもイモト達は登頂を目指すのだろうか?(結局断念したようである)
満開のサクラ

日本に帰るころはサクラも散り始めていると思うので、ヒマラヤでサクラを見れたのはラッキー。
緑色の入り口と少女

とても良い背景だったので この入り口に誰か現れないかと構えていたら、女の子が現れたが一瞬の間で何処かに遊びに行ってしまった。
ふとポケットに手をやると なんとパクデンのロッジのキーがあるではないか、慌ててポーターガイドのPさんに誰かナムチェ方面に行く知り合いのポーターに出会ったら渡して届けてくれと頼み500Rsを渡そうとするが受け取らなかった。 しかし 結局キーを途中会ったポーターに渡して届けてもらった様だ。彼らが道中出会うほとんどのポーターやガイドと知り合いだったので問題なくすんだが、そうでなかったら大変だった。
ルクラの街角

明日カトマンズ行きは飛ぶだろうか? 行きにルクラのロッジのダイニングで何の気なしに飾ってあった顔写真に掛けてあったクロス(十字架)を触ったら、数年前にルクラの飛行機事故で亡くなった方だと言う。マレーシア航空事件のこともあり この道中ずっと飛行機事故のことが頭から離れなかった。
スタバ

ルクラにスタバがあったので入ってみた。 サンルーフの部屋に籐のソファがありとても居心地が良かった。面白いのはスタバのロゴの中心が女性の代わりにヒマラヤの山になっている。
道端で遊ぶルクラの子供たち
親子

ルクラのロッジではこの犬の親子を飼っている。以前きた時に洗濯物をこの近くで干していたが、取り込みに行こうとしたらこの子供たちの父親(この辺り一帯のメス犬を従えていると思われる)が吠えて追っかけてきたのでロッジに逃げ込み難を逃れたが 今回は何処か別のメス犬の所に行っているようで見かけなかった。
一路カトマンズへールクラ テンジン ヒラリー飛行場

3月29日出発時刻がずれ定刻通り飛ばなかったが 朝8時過ぎ何とか飛んだ。待っている時一人の日本人の高校生が話しかけてきた、高校を中退して通信教育を受けているそうだ。今回はゴーキョピークやカラパタール、EBC,チュクリンなどすべて踏破してきたと言うつわものである。2,3年後にはアマダブラムに登りたいと言う。この後はインドにでも行こうかと思っているとも言う。近年若者があまり海外に行きたがらないと言うが頼もしい若者もいるものである。
明日からはカトマンズの世界遺産観光とチトワンのジャングルサファリである。

To be continued

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