ネパール・ヒマラヤ写真紀行ー8 クムンジュ Nepal Himalaya poto travelogue- 8 Khumjung

今回はサー エドモンド ヒラリーが愛したシェルパの里クムンジュでネパールの国鳥ダフェの写真を撮り、ナムチェに向かう途中世界一標高が高い所にあるホテルとしてギネスブックにも載ったエベレスト ビューホテル(3880m)でお茶をするというものであった。
クムンジュは隣の集落クンデとともにシェルパが住む里として有名であり 農業を営む豊かな農村地であり家も大きく屋根が緑色に統一された美しい集落である。

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ジャガイモ畑

クムンジュに入ると畑がいたる所にあり農業が主体の集落であるようだ。日本人も多く訪れるのか一家でジャガイモを採っている家族が我々を見て「ジャガイモ!」と声をかけてきたので「オイシイ!」と答えた。
クムンジュのチョルテン

立派なチョルテンが何塔も建っている。
水取り場

ベルギーの人達が寄贈したもののようである。 「有難う エドモンド ヒラリーとシェルパの人々」とある。 
クムンジュのゴンパ

あまり大きくはないこのゴンパにはイエティ(雪男)の頭蓋骨が保管されているというので訪れてみた。
イエティの頭蓋骨

エドモンド ヒラリーがアメリカに持ち込んで調べさせたところ カモシカの頭であると言う事になったようであるが未だにイエティの話題は尽きない。
ガイドポーターのPさんにどう思うか聞かれたが、イエティが存在しないとは断言できないが これがイエティの頭とは思えないと言っておいた。
ヒラリースクール

エドモンド ヒラリーの財団が初めて建てた高校。校庭にはヒラリーの銅像が立っている。 ヒラリーの財団の建てた学校、病院、橋などはクンブ地方の至る所で見受けられる。
マニ石の列とチョルテン

ヒラリースクール脇にはマニ石が延々と連なっていた。
老いたヤク

年老いたヤクなのか広場に一頭じっと動かないで座っていた。
シェルパの子達
  農作業の合間にみんな携帯でお喋り

今やヒマラヤでも携帯電話が普通でトレッキング中も電話しながら歩いているポーターをよく見かけた。
メスのダフェ

クムンジュはシェルパの里と共にダフェの里としても有名で、ポーターガイドのSさんにダフェが良く来る場所に案内してもらう。
オスのダフェ

ダフェはネパールの国鳥で求愛するときは孔雀のように羽を広げる。一度羽を広げるのを見たが遠くで写真は撮れなかった。
ニジキジ

ダフェは日本ではニジキジと呼ばれている。飛び立つところも慌てて撮ったがピントが合わなかった。
クリケットで遊ぶ子たち

ソフトボールかと思ったら、クリケットであった。 イギリスやインドのスポーツ文化が浸透しているようである。クリケットはネパールで人気のあるスポーツだそうだ。
雲に包まれるゴンパ

夕方になると雲がどんどん広がって来てクムンジュ全体を覆い隠した。
クムンジュの朝

アマダブラムが遠くに霞んで見える。
クムンジュより エベレスト ビューホテルを目指して進む。途中もなかなか山々の眺めが良い。
  クムンジュの集落を望む

屋根が緑色で統一されているのが分かる。
エベレスト ビューホテルのテラスにて

エベレスト ビューホテルのテラスで皆でお茶をする。
左よりエベレスト、ローツェ、アマダブラム。確かに良い眺めである ここでお茶をしたいと言う観光客が多いのもうなずける。ただしこのホテルに泊まるのはかなり高額になるそうだ。
チャーター ヘリ

テラスにアメリカから来たという家族が食後のお茶をしていた。一人の女性は簡易酸素マスクを口と鼻に付けていた。その家族の青年にナムチェから登って来たのと聞いたら、恥ずかしそうにカトマンズからヘリで来ましたと言う。ポーターガイドのPさんによればチャーター ヘリはカトマンズからでは1万ドル、日本円で百万円以上するそうだ。たかだか3,4時間エベレストを見ながら食事とお茶をするのに百万円使うとは恐れ入った(10年以上前だが日本のツアーでルクラからヘリで行ったことのある友人の話ではそんなに掛からなかったそうだ)。

ナムチェに向かう。

To be continued

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