ネパール・ヒマラヤ写真紀行ー6  パンボチェ Nepal Himalaya poto travelogue- 6. Pngboche

タンボチェをお昼頃発ちアマダブラムの麓にあるパンボチェを目指してトレックする。幸い天気は回復し陽の当たる所は既に雪が解けていた。ヤクの通る生活道でもあるため何頭ものヤクが通った跡は地肌が見えており、日陰の路面が凍っている所は地元の人が土を撒いたりして滑りづらいようにしてあった。それでも数箇所凍って滑りやすい所もあったが何とかパンボチェのロッジに午後3時前に着くことが出来た。下痢のせいか鼻水が止まらず風邪気味だったので自分は先に進まず パンボチェに2日滞在しクムンジュ経由でナムチェに引き返すことにしたが、ポーターガイドのPさんからパンボチェの裏にも標高5200m程の山があり眺めが良いよと聞くと 雪道を心配したのかO君もあっさり先に進むのを諦めその山に登った後一緒に戻ることになった。翌日パンボチェの裏にあり南向きの斜面で雪が解けているPhusar Kharaka(5200m)に荷物を持たないで登る事になった。自分は標高4000mを超えればいいと思っていたので4200mにあるビューポイントまで行きアマダブラムを真正面から撮った。

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川縁を歩く

デボチェ辺りからは川縁を歩くことになる。道がないのでヤクや人が通った跡を辿る。
パンボチェ近くのチョルテン

午後になると雪もだいぶ融けていてた。この辺りはタンボチェよりも降雪は少なかったようだ。
パンボチェのロッジに到着

今日明日と泊まる予定のEco-Holiday。例によって午後遅くなると天気が悪くなってくる。
ヤク

このロッジの敷地にはヤクが放牧(?)されていた。
パンボチェの集落を望む

翌朝パンボチェの裏にある山Phusar KharakaにポーターガイドのPさんにカメラ機材を持ってもらい登る。
パンボチェのビューポイントよりヒマラヤのパノラマビュー

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アマダブラム

ここから見るアマダブラムの稜線が一番美しいと思う。久しぶりに望遠レンズを使ったので以下見ていこう。
ヌプツェの向こうに頭を出すエベレスト

ここのエベレストのビューは今までより近くに見えるが、ここよりタンボチェに来る途中の方がもう少し頭が見えて良かったと思う。
アマダブラムと浮雲

浮雲の下辺りにアマダブラムのBCがある。
ローツェ頂上の雪煙
ヌプツェ、エベレスト、ローツェ

晴天だが頂上付近は暴風雪のようだ。
タムセルク頂上
  天空のヴィレッジ

パンボチェの上の方にあるアッパーパンボチェ。パンボチェは標高3930mなので4000mはあるであろう。
墓標

降りる途中墓標があった。どうやらエベレスト遠征の韓国隊の二人の遭難者の慰霊塔のようである。2007年5月16日没とある、ノースフェースのロゴが印象的だった。近くには韓国の登山関係者が建てた学校もあった。このような援助で建てられた私立の学校は多くあるが、庶民には授業料が高く大変であるとポーターガイドのPさんが言っていた(ネパールでは私立の学校に人気があるようだ)。
チョルテンとヤク

この山はヤクの放牧にも使われているようである。
ヤクの出発

宿に戻ると宿泊ロッジ内にいたヤクが荷物運びに出発するところであった。
ショートトレック

O君がまだ戻ってこないので一人で一眼レフ片手にソマレ方面の山に登ってみた。足場が意外と悪く一人で来たのはまずかったかもしれないと後悔する。
4000m超達成を祝って岩によじ登る。

今回の旅の目的の一つに富士山より高い所に登ったことがないので 4000mを超えるというのがあった。
ディンボチェへの道

午後になって風が出てきたので 河を越えソマレの手前で引き返す。ロッジに戻ってしばらくするとO君も戻って来た。5000m手前で雲行きが怪しくなったので戻ってきたが、そこからのエベレストの眺めは最高だったと言っていた。
ヤクの糞

ヤクの糞は乾燥させて燃料となる。お母さんが団子状にして石垣に貼り付けて乾かしている。薪などの火力には及ばないが 優しい暖かさである。ヤクは荷物を運び、糞は燃料になり、毛皮は衣類となり、肉はステーキになり人間のため100パーセントにたっているのだ。
  雲に隠れるアマダブラム

クムンジュのダフェの里を訪れダフェの写真を撮り、世界で一番標高が高いエベレストビューホテル(3880m)のテラスでお茶をしたいと言う自分のミーハー的な願いに同意してもらい 明日はクムンジュに向かうことになった。


To be continued

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