今回のトレッキングはナムチェからタンボチェまでで約400mの登りだが、距離的には一番大変だったかもしれない。 しかし道中何時もエベレストやその他のヒマラヤの山々を見なっがらのトレッキングで、さらにタムセルクに架かる光輪を見たり 自然の神秘に触れることが出来る道中であった。タンボチェに着いたころから天候が崩れ夜には雪が本降りとなり翌朝は一面の銀世界だった。着いた日の夕食は長旅立ったので栄養を取ろうとガーリックステーキを注文し食べたが 疲れて胃が弱っていたのか直ぐ ひどい下痢をしてしまった。ヤクの肉だったと思うがヤクに祟られたのかもしれない。ギアナ高地の旅を終えた時も 気が緩んだのか疲れて胃が働かないのに脂っこい食事とビールを飲んで下痢をした経験があり、今回も予想していたので こういうこともあろうかと事前に状況を説明し薬を処方してもらっていたので、幸い大事には至らなかったが もし治らなかったと思うとぞっとする。翌朝はディンボチェに向かう予定だったが雪が積もっていたので様子見し お昼頃ディンボチェの手前のパンボチェまで進むことにした。 |
チョウクン辺りよりナムチェの町を見下ろす ナムチェが山に囲まれたすり鉢状の斜面にあるのが分かる。前方の山はクワンデ。 |
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黄色いくちばしのカラス 今回の旅では鳥に関してはネパールの国鳥であるダフェと黄色い口ばしのカラスを見たいと思っていたが、こんな所で見ることが出来るとは! 4000m以上の高所でしか見れないと思っていたので意外だったが 写真を撮ることが出来 ラッキーだった。 |
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赤いほっぺの女の子 家の入り口から行きかうトレッカーを眺めている子がいたので こちらからも一枚。 |
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クワンデとチョウクンの集落 左側の小高い所に昨日上ったサガルマータ国立公園のビジターセンターが見える。 |
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エベレスト方面を望む タンボチェに向かう最中はヌプッエ、エベレスト、ローッエ、アマダブラムを飽きるほど見て歩くことになる。後ろを振り返るとタムセルクやカンテガも見える。 |
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テンジン,ノルゲのメモリアルステュパ(仏塔 チョルテン)の脇で一休みのポーターガイド 我々のポーターガイドのPさんとSさん。彼らは20キロ以上背負っているのだが道中二人でずっとお喋りしながら歩いている。こちらは喋るのも疲れるような有様だが。 |
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タルチョー 洗濯物ではない、チョルテンに必ず掛かっているチベット仏教の祈願旗である。白、赤、黄、緑、青からなりそれぞれの色が空、火、大地、風、水などを表す。 |
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だんだんヌプツェ方面の山の全体が見えるようになって来た。 | |
タムセルクに架かる光の輪 ひょいと後ろを振り返るとタムセルクの上に光輪が架かっているではないか。慌ててシャッターを押す。ポーターガイドのPさんの話では エベレストに架かった虹を撮った写真家がそれで随分儲けたという話をしてくれた。アマダブラムにでも虹が架かれば価値がありそうだと思うのだが。 |
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ヒマラヤに架かる光の輪 拡大 |
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子供を肩車して山道を歩く家族 足場が悪いのによく歩けるものである。道中何回かこういった肩車した親子を見かけた。 |
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坂を下るヤクの一隊 荷を運んで戻るところであろうか?ナムチェの上の方に来るとゾッキョではなくヤクが主流になってくる。ヤクの方が高度順応に優れているのだろう。 |
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タンボチェに到着 到着した頃から雲行きが怪しくなりタンボチェにガスか雲のようなものが漂い始めた。一般にヒマラヤでは午前中晴天だが午後崩れることが多い。カトマンズールクラ間も午後はほとんど飛ばない。後日ルクラに戻った時聞いた話では ちょうどこの頃カトマンズールクラ間の飛行は天候不順のため4日間程飛ばなかったそうだ。 |
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タンボチェのゴンパと山門 タンボチェにはエベレスト街道随一のゴンパがある。僧侶の学舎もあり大勢の僧侶がいて近隣のゴンパにも派遣されている。 |
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タンボチェのゴンパの本堂より山門方面を望む 午後から雪が降り始め夜には本降りとなる。夕食にガーリックステーキを食べた後下痢をしてしまう。下痢にも利くという万能漢方薬は既に飲みつくしていたが、この事態を予想して医者から特別処方してもらっていた薬で何とか止める。夜はせんべい布団だけでは寒いのでフリースの上下を着てシュラフに入って寝る。これから先はシュラフが必需品となる。 |
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カラフルなマニ石 マニ石には仏教の経典の文言である オン、マ、二、パ、ミ、ホン(阿弥陀仏の意味)が刻まれていることが多いようであるが、後日カトマンズのホテルでいつも流れていた読経のような音楽(オン、マ、二、パ、ミ、ホンが何度も繰り返されるだけの音楽)が耳に付いて離れずタメルの町を歩き尽くし とうとうそのCDを手に入れた。 帰ってからアマゾンで調べると2008年頃ヒットした音楽であるという、随分長い間流行しているものである。妻に聞かせたら「姫神」に似ていると言われたが 確かにヒーリングミュージックである。アルバム名は「Tibetan Incantations」 とあり アルバム名通り自分は呪文をかけられていたようである。 |
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雪のタンボチェ 翌朝起きると一面銀世界であった。朝だと路面が凍っている可能性があるのでディンボチェに行くのはお昼頃まで見合わせようということになった。旅行保険はアイゼンを使うようなケースでは保険が掛けられず、アイゼンは用意してこなかったので雪が積もっていればトレッキングは中止しようということに予め決めていた。 |
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雪のタンボチェ 朝起きて下痢が治っているようだったので、何も食べないのも良くないと思い 日本から持ってきたお粥ぐらいは大丈夫だろう思い食べたら また直ぐ下痢をした。 慌てて薬を飲みその日はスープだけで過ごすことにした。病院の先生には固形物を取らずに水分と塩分だけ補給するようにと言われていたのに!今回の下痢騒動は自分の不注意で痛恨の極みであるが、薬を2回飲んで治ったのは幸いであった。 |
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雪の山門で朝の挨拶 | |
アブダブラムとヤクの一行 雪が降ってもヤクの荷運びは終わらない。ポーターガイドのアドバイスで雪も止み天気になったのでヤクが歩いて道が出来るのを待ってお昼頃になったらディンボチェの手前のパンボチェまで行ってみようということになった。 |
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パンボチェに出発 下痢や雪で足止めを食ったが、先に進むことになった。下痢のため何も食べれず体調不十分だが何とか進もう。 To be continued |