ネパール・ヒマラヤ写真紀行ー2. ルクラ Nepal Himalaya poto travelogue- 2.Lukla

3月16日6時前にMount Fujiの人にカトマンズ空港まで送ってもらい朝6時半頃カトマンズ空港からルクラに飛び立つ。
ルクラは世界で離着陸が一番難しい空港と言われているが、その割には事故は少ないとも言われている。 しかし去年も事故があり亡くなっている人がいるので緊張する。ルクラ空港には手配していたポーターガイドの人が一人向かいに来てくれて泊まるロッジに案内してくれた。もう一人のポーターガイドは翌日来ることになった。ルクラにもトレッキンッグ用品店等がありちょっと街歩きをしてみた。

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地平線に昇る朝日

3月16日朝日がちょうど昇り始める頃 18名ほど乗れる山岳飛行用に作られたツインオッター機で出発する。
ヒマラヤの山々

機内からヒマラヤの山々が見えた。カトマンズに帰ったらエベレストマウンテンフライトにでも乗ろうかと思っていたが これで十分な気もする。
ルクラのテンジンヒラリー空港

約20分程で無事ルクラ飛行場に到着。
ルクラ飛行場滑走路

ルクラの飛行場は全長約450メートルの短い滑走路で、離陸するときは滑り台のように傾斜を利用して飛び立ち、着陸するときは反対に坂を駆け上るようにして傾斜をブレーキの補助にして停止するという有視界飛行場である。
ルクラの町

ルクラは標高2,840mのクンブ地方のトレッキングの起点である。飛行機に乗りたくないトレッカーはカトマンズ近郊のジリより一週間くらいかけて登ってくると言う。
ルクラのお洒落な女の子

ルクラに着くと子供が多いなと思った(これから行くエベレスト街道沿いでも多いと思った)。 寒い家の中よりも外の陽だまりにいる方が暖かいからかなとも思う。O君は子供が多いけど泣き声が聞こえないのは 子供が大切にされているからだろうと言っていたが、東京でも少子化のせいか最近は泣き声を聞いたことがない。それにしても エベレスト街道の子供たちを見ると戦後間もない自分たちの子供の頃の原風景を見ているような気がして懐かしく感じる。
荷物を運ぶゾッキョ

標高が上がるとヤクが多く見られるが、低地ではヤクと牛を交配したゾッキョやラバが多く見受けられる。
マニ石

道の真ん中にマニ石があるのを良く見かける。通るときはマニ石の左側を通らなければならない。この石の場合は左から歩いてきた人は不便だが向こうの家の段差を歩いてこなければならない。しかし荷物を運ぶヤクなどはこの限りではない。ヒマラヤでの交通規則は人間優先ではなくヤク(ゾッキョやポーターなども)優先である。
マニ車

大小さまざまなマニ車を見かけるが、時計回りにマニ車を回すと中に収められている経典を読んだことになり功徳があるという。なかには川の流れなどで自動で回っているものもある。
マニ車に入ろうとする母親を心配そうに見守る子犬たち
ルクラの好奇心の強い娘たち

写真を撮っていると好奇心の強い女の子たちなのか寄って来て、写真を撮ってもらいたいようなポーズをする。
ルクラの仲良し三人娘

飴をあげると はにかんで たどたどしい英語でペンシルと言う。誰かペンシルをあげた人がいたのだろうか?
あいにく持っていなかったが勉強熱心なのかな。どこかでネパールに行く時は鉛筆とノートを子供たちのお土産に持っていくというようなことを書いた旅行記を見たような気がする。
ルクラの先のサガルマータ国立公園方面ゲート前の検問

実際のサガルマータ国立公園入口はモンジョの先にあるが、これより先(写真では手前側)に行く外国旅行者はチェックインしなければならない。黙って通り過ぎたら呼び止められた、自国の人とそうでない人とをどうやって見分けているのかは不明。
トレッキング ゲート

いよいよ明日からエベレスト街道をナムチェに向けトレッキングだ。

To be continued

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