今日のコースは塩尻ICで長野自動車道を降りて19号中山道を下り木曽路のほぼ中央にある木曽福島で一泊するというものである。木曽路には11の宿場町があるが2番目の奈良井宿に立ち寄り1番目の贄川宿、3番目4番目の薮原宿、宮ノ越宿は時間の関係上パスした。この日も快晴で北アルプス、中央アルプスが良く見えた。 |
α55 2012:11:19 10:34:05 長野自動車道を走ると前方に雪をかぶった北アルプス連峰が立ちはだかるようにその威容を誇っている。 みどり湖PAで車を降り高速道路の上の横断歩道橋から北アルプスをスナップする。 |
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α55 2012:11:19 11:22:31 奈良井宿に到着。この総ひのき造りの木曽の大橋を渡ると古い町並みが残る奈良井宿の宿場町が1キロに渡って続く。 |
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α55 2012:11:19 11:39:26 この先から奈良井宿の宿場の町並みが続く。この辺りは宿場の入り口で当時は枡形という道を直角に二度曲げる軍事上の規制が宿場町には義務ずけられていた。この後行く馬籠宿や妻籠宿でも見受けられた。 |
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α55 2012:11:19 11:41:09 だんだん宿場町風な町並みになってきた。奈良井宿は木曽路の中で一番観光客に人気のあるところだが、平日だからか あまり観光客はいないようだ。 |
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α55 2012:11:19 11:42:26 家々には思い思いの飾りつけがしてあって眼を楽しませてくれる。 |
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α55 2012:11:19 11:44:14 奈良井宿は妻籠宿とともに国の伝統的建造物群保存地区に選定されており古い町並みが良く保存されている。そのためロケ地として使われることも多く 特に「陽子(おひさま)」のロケ地として有名になった。この日も映画のロケで大量の撮影機材と大勢の映画スタッフがいた。 |
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α55 2012:11:19 11:47:05 向こうの土産屋の看板に書かれている「めっぱ」て何だろうと二人で話していると、それを聞きつけて薬の長門屋の女将さんが「めっぱ」というのは「輪っぱ」(曲木製の食べ物の容器、めんばとも言う)のことだと教えてくれた。「お客さん良いカメラもっているから写真に良いとこ教えましょう」と色々奈良井宿の見所など教えてくれた。 |
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α55 2012:11:19 11:50:28 「このタヌキにさわると幸せになります」とあったので触ってみた。 |
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α55 2012:11:19 12:00:58 これは車の窓に映っているものと、車のミラーに映っているものと、車の窓に映っているミラーに映っているものが面白いので撮っただけ。 |
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α55 2012:11:19 12:02:32 庚申塚の傍に立つ御神木。 |
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α55 2012:11:19 12:10:01 大宝寺 臨済宗妙心寺派の寺院。 木曽七福神の壽老尊を祭る。境内の墓地には隠れキリシタンが密かに祈るために作られたというマリア地蔵がある。奈良井宿の高札場の御触れには「キリシタン宗門人を見つけたら御ほうびを取らす」とあったが、良くこんな狭い土地でも密かに信仰していたものだ。 |
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α55 2012:11:19 12:11:11 お昼頃になると観光客がちらほら見え始めた。妻が塗り櫛の創始者といわれる中村利兵衛の屋敷、中村邸の見学に行っているあいだに町を端まで散策する。 |
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α55 2012:11:19 12:12:45 宿場町の前も後ろも山である。藤村の「木曽路はすべて山の中」というのが良く分かる。 |
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α55 2012:11:19 12:19:15 長泉寺 曹洞宗の寺院。宇治茶を江戸まで運ぶ「お茶壺道中」の宿泊所として使用されていたという。 |
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α55 2012:11:19 12:26:23 枡形とともに宿場町に欠かせないのが高札場。なかなか良いことが書いてある。「万事おごりいたすべからず屋作衣飲食におよぶまで倹約を可相守事」などなど。 |
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α55 2012:11:19 12:29:18 鎮神社 奈良井宿の鎮守。この辺りで宿場の町並みは終わる。 |
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α55 2012:11:19 12:35:35 道祖神 後ろには荒沢不動尊が祭られており、無料休息所では おばあさんが一人色々と観光客のお世話をしていた。 |
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α55 2012:11:19 12:46:38 塗り櫛の創始者といわれる中村利兵衛の屋敷、中村邸。 妻から邸内でビデオなども見るので遅くなると連絡が入る。 |
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α55 2012:11:19 12:49:11 さっき無料休息所にいたおばあさんが家々の花に水をあげるのか元気に出掛けて行った。 |
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α55 2012:11:19 13:04:42 妻が「中村邸」の見学を終えたのでもと来た道を引き返す。奈良井宿は「奈良井千軒」といわれるほど栄えた宿場だけあって端から端まで結構な距離である。 |
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α55) 2012:11:19 13:14:07 お茶でもしようと思い「松屋茶房」という店に入る。コーヒーを注文して砂糖を入れようとしたら「おっと お客さん、最初の一口はそのまま飲んで下さい」ときた。聞くとトラジャコーヒーという高級豆を使っているらしい。東京では千円はするよと言われ最初の一口はストレートで味わってみる。自分はコーヒーは好きだがミルクと砂糖を入れなければ飲めないたちなので少々面食らった。上野のウエスタン北山なみである。コーヒーにはうるさそうだが、いたって気さくなご主人で写真もやるらしく奈良井宿の四季折々の写真のアルバムなど見せてもらい話を聞く。雪景色の奈良井宿も良いなと思った。 |
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α55 2012:11:19 13:37:48 ご主人と奈良井宿の歴史など色々話すが どうやらここのご先祖も「中村邸」と同じ櫛屋さんだったようだ。「おん櫛処」と書いた看板は先祖代々伝わる本物で、中村邸には残っていないが ここにはあるんだと自慢げであった。 この宿場の家は間口が狭いが奥行きがあり蔵なども裏にあるそうだ。 蔵から年代ものの骨董品などを持ち出して店内にさりげなく飾っていた。奥行きが深い家の造りは昔税金が間口の広さで決まっていたためだと教わった。 カウンターに「美川憲一」と「はるな愛」と一緒に写っている写真があったので聞いてみると 4日後にテレビの再放送があるので見るようにと言われたので旅から帰って家で見たが、ご主人なんとネクタイにスーツで登場、奥さんはロングドレス この日のご主人とは随分違う、美川憲一ら二人がたまたま訪れたような設定になっていたのだが。 |
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α55 2012:11:19 13:56:19 長門屋の女将さんに是非見に行くようにと言われていたので宿場の入り口の所からちょっと上った所にある二百地蔵と杉並木を見に行く。この辺りにあった地蔵様や観音様が集められたものという。女将さんに聞いたのかカメラマンが後から来て一生懸命構図を考えながら写していた。 奈良井宿を後にして木曽福島に向かう。 |
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α55 2012:11:19 15:03:05 木曽福島の高札場跡 これは宿場に必ずある高札場の跡に3分の2に縮小して高札場を復元したものである。木曽路の宿場町に行くと必ず枡形と高札場があるが あと忘れてならないのが水場でどこの宿場でも水の流れる音が聞こえてくる。 |
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α55 2012:11:19 15:04:25 水場が多いせいか水車も良く見かける。 木曽福島では「くるまや本家」という蕎麦屋で昼食を取ろうと予定していたので宿にチェックインした後すぐ出掛ける。創業300余年で商標 「車傳」には「日本一手打元祖」とある。蕎麦の二枚重ねのボリュームにもびっくりしたが店内はなんとなく懐かしくもあり歴史の重みを感じる佇まいであった。今日は宿の夕食は7時半なので遅い昼食でも問題なかった。 |
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α55 2012:11:19 15:44:54 「くるまや本家」から行人橋に向かうと浄土真宗 西方寺がある。モミジがきれいな所の様だがほとんど散っていた。 |
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α55 2012:11:19 15:48:10 行人橋歩道橋。福島と三岳を結ぶ重要な橋で昔はこの辺りに架かっていたという。今は木曾川親水公園となっている。 |
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α55 2012:11:19 16:02:19 福島関所跡 木曽福島は木曽路の行政の中心で役所や代官屋敷、関所があった所で、現在でもかなり大きな町である。福島関所は当時箱根関所などと並ぶ日本四大関所の一つであった。 |
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α55 2012:11:19 16:03:08 福島関所に沈む太陽 島崎藤村の姉園(その)の嫁ぎ先である高瀬家の資料館がこの先にあり見学することにする。藤村の小説「家」のモデルになった家である。 |
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α55 2012:11:19 16:34:07 木曽路には柿が今の時期良く似合う。 |
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α55 2012:11:19 16:37:22 福島関所の関守を務め木曽代官も兼務していた「木曽の殿様」とも言われていた山村氏の代官下屋敷。今夜の宿の食事は「おごっつお」と言う代官屋敷に招かれた客にもてなされたものを真似た創作料理らしい。 |
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α55 2012:11:20 09:19:40 翌朝馬籠宿に向かって出発するが、木曽福島の小さな酒蔵に寄る。 泊った宿の向かいにある「七笑い」と言う木曽では有名な酒蔵で地酒を買ったのだが、木曽福島にはこの他「中乗さん」と言う小さな酒蔵があると聞き探す。杉球が飾られていた、緑色だと新酒ができたことをを知らせることになるそうだ。 To be continued |