「崖線の地形と地質」増淵和夫氏(日本民家園)2002.4.13

1.多摩丘陵のかたち

・ランドサット画像から。日本で一番広いのが関東平野。逆に言うと山が多い。

・多摩丘陵。来週の岸さんは、イルカ丘陵と呼んでいる。
  鎌倉から先は、山地と呼んでいる。丘陵と山地の区分ははっきりしていない。
  外国だと、200m以上とかはっきりしているが。
 日本は、高さと古さ。ここあたりは、過去170万年前に土台が形成されているのが丘陵。
 それより古いのが山地。三浦半島、上総丘陵は山地と呼ぶことが習慣。
・お友達の丘陵は、狭山丘陵、ちいさいのが加炭丘陵。草花丘陵。
 土台がほぼ同じ頃に作られている。地層を作っているものは、加炭丘陵。草花丘陵は礫で出来て
 いるのが多摩丘陵と異なる様相。五日市、秋川、、、。
 地層が天然記念物。崖が切り立って屏風のようになっている。急峻で崩れ易い。
 狭山丘陵は、多摩丘陵を小さくした感じ。

・左岸は武蔵野台地。その中に狭山丘陵が取り残されている感じ。
 中心は青梅。扇を作った形。古多摩川の扇状地。狭山丘陵を削って出来た。
・古ければ古いほど、多摩川は荒川の方に流れていて、南にシフトしていった。
 理由は、良くわからない。確たる証拠がない。おそらく沈んでいるのだろうが。

・下末吉台地。横浜の上末吉、下末吉からとっている。
・低地と台地、丘陵で出来ている。

・多摩川、浅川、秋川、平井川。百草園のあるところ、歩く。日野台地。
・断面図。加瀬山から、枡形山から、百草園から、高尾山へ。低い、中ぐらい、高い。
 だんだん高くなる。最近はパソコンで簡単に作れるようになった。
 テラス状のところが下末吉台地。東名高速のところからあたりから多摩丘陵。
・南武線に乗って、見えるのかなと思って、説明を読んでいると、なんとなく見えてくる。
・加瀬山、井田山が下末吉台地。間に矢上川。地形は、高い方が古い。
・枡形山〜百草園。2段の高さが分かる。多摩2面−100m未満、多摩1面−120mから高尾山に
 向かって高度を増す。200mぐらい。生田浄水場の先、寺尾台5丁目が境。

・百草園から高尾山。多摩丘陵がこの辺で終わって、山となる。関東山地。600mぐらい。

・おさらい。海抜5mのところに新川崎、加瀬山32.5m、矢上川、井田病院51.4m、
 東高根60m、−下末吉面−、東名高速、ここで上がる20m。五所塚。枡形山83.9m。
 寺尾台5丁目で20m上がる、日本女子大102m。そのまま上がっていって百草園142m。
 八王子のたて町、法政大学、拓殖大学、この辺が丘陵の端。200m。ここから一気に高尾山。
・南武線、乗り換えて京王線(高尾行き)に乗っていと見えてくる。

2.どうして、こういう地形が出来てきたか?

・関東地質協会。左岸側の地質図はまとまっているが、右岸側はまとまったものはない。

・地層。ベースはつながっている。基盤は上総層群。海成層。つらなった海だった層。
 神奈川県側にも、東京湾の海底の底、千葉県側にもある。170〜70万年前は同じ海だった。

・各層が将棋倒しのように、傾斜して並んでいる。
 加住丘陵が崩れ易いのは、どんずまりは海ではなく、陸だった。大昔の多摩川がたくさんの礫を
 吐き出していた。そこが加住丘陵、草花丘陵。

・川崎の場合は、高津層、柿生層、飯室層、王禅師層がある。
 下末吉台地は、下末吉層があり、ローム層がのっている。
 多摩1面、押沼砂礫層、ローム層がある。より西の方がはっきりする。
 百草園、河原の礫が出てくる、御殿礫層、ローム層。

・川崎市内は、御殿礫層がない。崩れてしまった。

・70万前、海が隆起して、陸となった。御殿礫層がたまった。特徴は風化してボロボロしている。
 空気にさらされいてる時間が長かった。腐れ礫層。多摩川の河原を作っている石とは違うことが
 大きな特徴。昔、火打ちに使ったチャート、頁岩、砂岩。
 御殿礫層、閃緑岩。この近辺で、火成岩で出来ている山は丹沢しかない。
 相模川が持ってきた、50〜60万年前、相模側は東に流れていて、東京湾に流れていた。
 その後、向きを変えて、南に向かって、相模湾に注ぐようになった。

・証拠。臨海副都心の埋め立て工事の時、100〜200m深さのボーリングを打った。
 研究者を集めて、調べなさいで、調べたら、海底ボーリングの中に、御殿礫層があった。

・多摩1面が出来た時、台地がつながったいた。丘陵とは言え、台地だった。多摩台地と呼ぶ方が
 ふさわしいが、その後の浸食ででこぼこが出来た。

・30万年前ぐらいに、間氷期があった。上総層群の頃から始まっているが周期的に、氷期と間氷期が
 10万年周期で繰り返す。氷期は水の循環が悪くなり、海水面は下がる。海退。
 暖かくなると海進。削っていくと、段が出来る。押沼砂礫層。火山灰が降ってローム層が出来る。
 それが繰り返される。海進で削られて段差が出来て、下末吉層が出来る。12〜13年前。

・全世界的に調べて、世界的な物差しが出来ている。酸素同位体。O16、O18同位体。
 氷期には海水中に重たい酸素(O18)が多くなる。化石の中の石灰石、有孔虫で調べた。
 酸素そのものが閉じ込められている南極の氷も調べる。今はメタンなども調べる。
・現在をステージ1とする、暖かい。押沼砂礫はステージ9。
・氷河性海面変動。全世界、同じシステムが地層が形成されてきた。

・最後の間氷期は縄文期が起こった。縄文海進。市民ミュージアム工事時の調査。
 1万年前に、現海面より40m下だった。その後、3000年まで海面上昇して、5600年前、
 今より4m海面が高かった。

・加瀬山はちょっと複雑。武蔵野面、下末吉面よりも新しい面。
 川の流れで出来た河岸段丘が付いている。
・矢上川が良くわからない。地質的に謎が多い。加瀬山、子母口、、台地の縁を通って、井田山の
 ところで向きを変えて、鶴見川に合流。多摩川低地にありながら、鶴見川につながる。
 地層の中に深い谷がある、最終氷期、8〜1万年前の氷河期の一番海面が下がった時に、
 多摩川が掘った川道が谷になったのだろう。
・縄文海進期に、矢上川、子母口あたりのどこまでやってきたかを調べている。

ここでテープ終了。??。


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