倫太郎は、同じクラスの 西野瞳ちゃんという女の子に恋をしているらしい。 色白で小柄、髪はちょっと長く、目がぱっちりしていて 表情やしぐさが控えめな感じの女の子だ。 朝、幼稚園につくと、下駄箱のところまで彼女が出てきて、 「りんたろうくん、おはよう♪」 と手を振りながら出迎えてくれる。 帰るときも、ママの自転車の荷台から後ろを振り返って、 「りんたろうくん、ばいば〜い♪」 を手を振りながら挨拶してくれる。 倫太郎は、もじもじしたり、くねくねしたりしている。 ある日、帰宅しておやつを食べている倫太郎に さりげなく質問してみた。 「倫ちゃんは、西野瞳ちゃんの、どこが好きなの?」 すると、まじめな顔でこう答えた。 「うんとね、かおも、からだも、どこもかしこも♪」 まあ、大人の恋をしてるのね・・・
以前、結城さんのページか何かで 家の中を整理整頓する心がけとして、 「部屋を移動するときに、手近にあるものを片づけながら進むとよい」 というような記述があったように記憶している。 その時、(なるほど!)と思ったのだが、 最近、せっせと片づけながら移動していると いざたどり着いたときに、 「あれ、なにするんだったっけ・・・」 という感じで、たいてい、 本当の目的を忘れてしまっていることに気づいた。 時には、 最終的にどこの部屋に行くんだったかさえも忘れほうけてしまい、 途中で立ちどまって考えていることもある。 ちかごろ、さっきしようと思ったことを 本当にすぐ忘れてしまうようになった。 冷蔵庫の扉を開けたとたん、 「あれ、なんだったっけ・・・」 食器棚に手を伸ばしたとたん、 「ええと、なんだったっけ・・・」 と、そればっかり。 今からこんなんで、どうしたもんだか。
「2001年6月25日 (月) - ゆるせない、という思いからの解放」 という結城さんの日記を読んでいて、 ああこの方は、今までの人生で ほんとに人を怨んで怨んで怨みぬいたようなこと ないんだろうなあ、と感じた。 なんというか、文章全体から そういうリアリティに欠けている雰囲気が 伝わってきたのだ。 (↑別に、結城さんに嫌みを言ってるんじゃないですよ) かつて、結城さんとご対面を果たした人から、 「結城さんってね、とにかく、本当に 感じのいい人だったのよ・・・ 予想以上に気持ちの良い人だったので、びっくりしちゃった」 というような感想を 聞いたことがあるのを思い出した。 きっとそうなんだろうなあ、と ちょっとうらやましく思っただけ。
誰でもあることかもしれないが、 私にもよくあること。 過去の奉仕を思い出して、後悔するのだ。 ああ、あれ、ちょっとやりすぎだったかなあ・・・ ああ、あれ、結局意味がなかったよなあ・・・ ああ、あれ、あんなことになるんだったら、しなきゃよかったなあ・・・ 私がいちばん思い出して歯ぎしりするのは、 かつて仕えていた教会に対して、思いっきり献金してしまったことだ。 私も主人も独身だったし、能天気だったし、信仰も極端だったから 今思うと本当にもったいないほどの額を捧げてしまった。 なぜ、一度神に対して手放したものを いまさらもったいないと思うのか。それは、 教会はその後無くなり、 プールしてあった数百万の献金は、 ある人が密かに名義を変えて持ち去ってしまい 自分の老後の資金として貯えていると聞いたからだ。 ああ、まったくばかばかしい。 その人にそんな罪を犯させるくらいなら、 はじめから1銭も捧げないで、そっくり ユニセフにでも寄付すればよかった・・・ 本当に、何度そう思ったことだろう。 ま、献金に限らないのだが、 その教会にいるときは、今思えばただの無駄としか思えないことを 神様のため! 神様のため! とこぶしを振り上げながら 意気揚々とやり続けていたのだった。 だから、 あのときのあれはいったい何だったんだろう、と ほかにも後悔したことは山のようにある。 かつての奉仕に対する後悔、 そのようなものが自覚されはじめてからずっと、 私は、(私たちは) 自分たちのもっとも得意とするところ、 その賜物とも言える分野において、 大きな傷を受けてしまったように感じていた。 神様から来るところの純粋な熱心さは 泡のように消え去ってしまい、 後悔の念と、警戒心だけが残っている感じだった。 しかし。 こないだ神様から、 こんなふうに語り掛けられているように思ったのだった。 ******************* のこちゃん、 そんなに後悔しないでいいよ。 あなたがあのときしてくれたこと、 それはなにひとつ、無駄じゃなかったんだよ。 わたしにとっては、 あなたがしてくれたあのことは、 「ナルドの香油」そのものだったんだよ。 ありがとう。 あなたはわたしにもっともふさわしいことをしてくれた。 あなたの人生を、無駄にすることを もっともっと学びなさい。 わたしは、あなたの人生の壷を叩き割って その中にある、限りなく高価で尊いものを注ぎかけるのに もっともふさわしい存在なのだから。 恐れないで、 もっともっとわたしにあなたを費やしなさい。 あなたの人生のすべてを、 わたしに向かって注ぎかけ、無駄にしなさい。 それがあなたの礼拝なんだよ。 わたしこそ、 あなたのそのような尊い奉仕を受けるのに もっともふさわしい存在なのだから。 ************** 神様のこの語りかけによって、 かつての教会がしてきたことすべても (たしかに的外れだったかもしれないが、それでも) 神様にとっては無駄ではなかったということを知り、 本当に慰められる気がした。
以上、2日分です。
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