今日食べたもの
・朝
ホットケーキ コーヒー牛乳
・昼
若鶏のおろし和え弁当 ヨーグルト
・おやつ
プチシュー コーヒー
・晩
豚肉と白菜と人参とほうれん草のお好み焼き 胡麻おにぎり
今日食べたもの
・朝
全粒粉パン
ハムとレタスとトマト
紅茶のジャム
白菜とほうれん草と鶏肉の中華風スープ
コーヒー牛乳
・昼
イカげその天ぷら入り 焼きうどん
・おやつ
アップルコンポート入りかぼちゃのケーキ みかん
・夜
豚肉としめじとレタスとニラのジャージャー丼
レンコンと長ネギの甘辛煮
ほうれん草とかぶと白菜の味噌汁
アダムに属するものから、キリストに属するものへ・・・
実は、水曜日の夜、
ひとりでお祈りしながら泣いていました。
突然ハッキリ分かったんです。自分が罪人だってこと。
罪人がふたりで子育てしてたのかと思ったら、
心に鳥肌が立つようで、
泣けて泣けてしかたありませんでした。
子どもを産むまでは、
自分がこんなに罪深いなんて知りませんでした。
いや、子どもを産んでからも、気がつかなかったんです。
そのときまで。
一生懸命に子育てしている自分が好きでした。
子どもには、言葉に気をつけながら接していたし、
よく祈り、よく考え、よく諭し、
衣食住から しつけ・教育に至るまで
けっこうがんばって子育てしていると思っていました。
そして、自分のいい面を見つけながら、
落ち込みそうになる気持ちを励ましてきました。
でも、分かったんです。
愛しているだの賜物だのと言いながら、
私は子どもより自分が大事なんだっていうことが。
自分が、子どものせいで思うように生きられないと感じるとき、
ささいなことでも無性に腹が立ってきて、
子どもの人格を、態度や口調で
思いっきり踏みにじっているのです。
それが、毎日です。
どんなに子どもが傷ついているのかと思うと、
恐ろしくて、心が震えます。
子どもと向き合っていると
ときどき心が滅入って仕方なかったのですが、
それは自分の罪から来る
良心の痛みだったのだ・・・とハッキリ分かりました。
クリスチャンになる前に、
私はめっちゃくちゃに自暴自棄な生活をしていたので、
世の中にある「悪いこと」も
それなりにたくさん経験しました。
でも、それはすでに悔い改めることができたし、
もちろん今はもうしていないし、
嫌な思い出が心に残っているくらいで、
それはまあ仕方ないよね・・・、
くらいに思っていたんです。
そんなわけで、罪っていうと、
万引きとか薬とか不倫とか暴力とか酒・タバコとか
嘘とか妬みとか憎しみとか人を陥れることとか、
そういうものを想像していました。
でも、自己中心的に生きたいと思う気持ち、
それこそが 他者を・・・いいえ、
自分の血を分けたわが子をこれほどまでに損ない、
そして神の一人子を十字架に磔にするような
恐ろしい罪だったとは・・・
愕然としたのでした。
しかも、この性質は
私そのものとも言えるほど根深いがゆえに、
自分の力ではどうしようもないと思われました。
そして、
「あなたはまだ、自分の罪と
血を流すほど戦ったことがありません」
とかいう御言葉があったのも思い出しました。
−−−−−
こんな自分のために祈って欲しいと思い、この話を
非常にせっぱ詰まった気持ちで
ペトラクラブの関根先生にメールしたところ、
以下、こんな返事が返ってきました。
*******
(前略)重要な告白を聞かせていただき、
私も厳粛に受け止めています。
確かに罪という言葉は「犯罪や嘘や高慢」など
実際に外側に表されるものとして
教えられていることが多いですが、
実は、私たちが生まれたときからすでに心の中にしっかり存在する
「的外れ」「自己中心」な思いそのものが
罪なんだと思います。
つまり、何かやったから罪人なんじゃなく、
罪人だからそういう実を残してしまう。
聖書では「In Adam」という表現で言い表しています。
アダム家の人間というような意味です。
アダムに属する人間です。すべての人間が
そういう立場で生まれているわけです。
もう、根源的に存在自体が「罪人」なんです。
存在自体が「神の敵」なんです。
それは努力や修養やがんばりでは、どうすることもできません。
ちょうど日本とアメリカで戦争を始めたら、
どんなにアメリカが好きな日本人でも
敵になってしまうのと同じです。
アダムに属していたら、どんなに神様のことが好きでも、敵なのです。
だからこそ、イエス様を信じることによって、
イエス様の身代わりの死で
「あがない」「赦し」が宣言されていることは
すさまじい祝福なのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら・・・」という言葉がありますが
「In Adam」という立場の人間が
イエス様を信じることで「In Christ」という立場をいただくのです。
つまり今までは、すべてアダムに属していた私が、
イエス様を信じることによって
その十字架によるあがないによって
「キリストに属する」という立場と祝福をいただけるのです。
それこそが罪の赦しの本質です。
残念ながら肉体はアダムに属して居たときのままですから、
おもわず「罪」に向かう傾向はあるのですが、
所属が変わっているので、
「罪を罪としてうなずき、それを悔い、それをイエス様のもとにもっていく」
ことが赦されているのです。
仕草が変わる前に「立場」が変わっているのです。
やがて仕草も変えられる日が来ると思います。
ある意味で のこちゃんが経験していることは、
「In Christ」キリストのうちにある人間としては大変重要なことであり、
また成長のために絶対通らなければならない
「気づき」なのだと思います。
こういうことを繰り返しながら「成長」するのだと思います。
大事な気づきです。聖霊が教えてくださる気づきです。
ぜひ、自分を責めるのではなく、赦してくださっているからこそ、
気づかせていただいたのだと信じて、神様に感謝してくださいね。
すでに赦されているのです。赦しが先行しているのです。
恵みが先行しているのです。
つまり、神様は のこちゃんを責めるために気づかせたのではなく、
愛しているからこそ、赦してくださっているからこそ、
気づかせてくださったのだと思います。
とても正常な、とても新鮮な、そして厳粛な気づきだと思います。
詩篇51篇を贈ります。(後略)
*******
以上ですが、先生は、こんなふうに
私の突然の告白をあますところなく受け止め、
さらに、今の私にとってとても大切で的確な、
教えと励ましをくださったのでした。
−−−−−
あの晩から、神様が私の中から、
子どもに対する罪深い思いを
取り去ってしまったように感じています。
心から悔い改めて、祈りの中でイエスさまに罪を差し出したときに、
やっぱり神様は私を変えてくださるんだなあと思いました。
以前にもいちどだけ
(恥ずかしいことに、いちどだけなのですが)
そういうことがありました。
本当にもう大丈夫かなあ、また元に戻ったりしないかなあと
おそるおそる歩いている感じではあるのですが、
なんだか、「主にある自分」というのが
とても誇らしく、嬉しいです。
自分は罪人だ、という自覚を伴ったクリスチャン生活は、
とても幸せだということも分かりました。
100%罪人なのに、100%赦されている・・・
天国と地獄を両方いっぺんに体験しているようで、
あまりうまく言えませんが、
なんだかとても不思議な気分です。
今まで、原罪という言葉が理解できなかったのですが、
「In Adam」「In Christ」という説明を受けて、改めて、
そういうことだったのか・・・と納得しました。
そして、先生が私に贈ってくださった詩篇の中の、
> ああ、私は咎ある者として生まれ、
> 罪ある者として母は私をみごもりました。
という、ダビデの叫びの意味も、理解できました。
ああ、本当に、罪咎のない人などいなかったのです。
本当に、イエスさまは
すべての人のために十字架にかかって死んでくださったのです。
心の中に、みことばの一節がうかびました。
「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく作られた人です」
だれでも。だれでも。だれでも、なんだ・・・
いやあ、すごいなあ・・・
−−−−−
そんなことがあった翌朝の木曜日は、
教会で婦人会があったのですが、そのとき、
「あるとき、(自分は罪人だ・・・)とはっきり分かって
落ち込んだのだけれど、立ち直ったそのあとから、
魂に対する重荷が心に与えられるようになって、
自分がどんどん変わってきた」
という姉妹の証しを聞き、
そのタイミングの良さに神様から私への励ましを感じ、
感動と感謝を覚えました。
神様がおられるということに
改めて、深い安堵を感じています。
今日食べたもの
・朝
鶏団子とほうれん草と白菜とねぎと卵とエノキダケの雑炊
・昼
ハヤシライス
コーンとキャベツとワカメとカニのサラダ
・おやつ
ブルーベリーフレーバーのコーヒー
チーズケーキ
・晩
カレー南蛮
交わりからのメモ 1
日常生活において何か問題が起こったときに、
「罪のために、神が私を裁いているのだろうか」
という方向へは、
なるべく考えないほうがいい。
たしかに、旧約聖書にはそのような事例はあるが、
神が私を裁くという考えにはサタンが働きやすく、
それにとらわれると、
不必要に落ち込んでしまったりしやすい。
そのような考えに対する「見分け」が必要。
交わりからのメモ 2
消極的な器は、神様は用いることができない。
神様は紳士な方だから、
しりごみしている人間に対して
なにかを無理強いするようなことはなさらない。
しかし私たちは、本来、
神様によって、積極的な存在として造られているもの。
神様によって、すでに勝利しているもの。
今日の倫太郎
今朝 生協の配達で届いた、
「しろくまちゃんのホットケーキ」という絵本に
早速はまってしまった様子。
しろくまちゃんちの冷蔵庫にはビールが入ってるよ、だとか、
ホットケーキのタネをフライパンに流しいれたら
ちゃんとふたをしなくちゃいけないねえ、とか、
変なところにチェックを入れながら
何度も何度も読んでいる。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」では、
�爐瓦瓩鵝△瓦瓩鵝�これは、おおまちがいのとんちんかん��
という だるまどんの台詞がお気に入り。
それから、だるま一家総出で
おもちをついて鼻をこしらえるシーンも好きで、
ここにさしかかると、
倫ちゃんもお鼻作るねーと言いながら
おもちをこねてママの顔にくっつけるふりをし、さらに
トンボ来たよーと言って 鼻先に止まり、
ママに捕まえられるのを待つ、という
ゴッコ遊びに突入していた。
そうそう、以前は いつも
私が知恵を絞って「遊ばせてる」って感じで疲れたんだけど、
最近は、倫太郎に想像力がついてきたようで、
ひとつのあそびから次のあそびへと
どんどんイメージを広げていくので楽しい。
ゴッコ遊びもその一つ。
恵嗣郎に話し掛けたりしながら一緒に戯れ、
私がいなくても、ふたりでおおいに盛り上がっていたりする。
今日の倫太郎
今朝 生協の配達で届いた、
「しろくまちゃんのホットケーキ」という絵本に
早速はまってしまった様子。
しろくまちゃんちの冷蔵庫にはビールが入ってるよ、だとか、
ホットケーキのタネをフライパンに流しいれたら
ちゃんとふたをしなくちゃいけないねえ、とか、
変なところにチェックを入れながら
何度も何度も読んでいる。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」では、
�爐瓦瓩鵝△瓦瓩鵝�これは、おおまちがいのとんちんかん��
という だるまどんの台詞がお気に入り。
それから、だるま一家総出で
おもちをついて鼻をこしらえるシーンも好きで、
ここにさしかかると、
倫ちゃんもお鼻作るねーと言いながら
おもちをこねてママの顔にくっつけるふりをし、さらに
トンボ来たよーと言って 鼻先に止まり、
ママに捕まえられるのを待つ、という
ゴッコ遊びに突入していた。
そうそう、以前は いつも
私が知恵を絞って「遊ばせてる」って感じで疲れたんだけど、
最近は、倫太郎に想像力がついてきたようで、
ひとつのあそびから次のあそびへと
どんどんイメージを広げていくので楽しい。
ゴッコ遊びもその一つ。
恵嗣郎に話し掛けたりしながら一緒に戯れ、
私がいなくても、ふたりでおおいに盛り上がっていたりする。
今日食べたもの
・朝
ホットケーキ(プレーン&かぼちゃ)
牛乳
・昼
フレッシュバーガー
フライドポテト
オレンジジュース
・おやつ
ノニ・ジュース
・夜
ご飯
うどんすき
(油揚げ、車海老、いわしのつみれ、鶏肉、白菜、大根、人参、ほうれん草)
ハムとレタスとキュウリとプチトマトのサラダ
今日食べたもの(11/17)
・朝
中華風炊き込みご飯
牛肉と蒟蒻とネギと人参とかぶの韓国風スープ
・昼
ご飯
麻婆豆腐
ニラ玉スープ
・夜
ご飯
ビーフシチュー
ブロッコリーとトマトのサラダ
今日食べたもの(11/18)
・朝
ソーセージとジャガイモと人参とブロッコリーのシチュー
全粒粉パン
コーヒー牛乳
・パパ 昼(お弁当)
ご飯
ひじきふりかけ
ブロッコリーの塩茹で
粉ふき芋と人参
イカのパン粉焼き ガーリック風味
卵焼き
・ママ&倫 昼
若鳥のピカタとトマトピラフ弁当
ヨーグルト
・夜
ほうれん草と卵と長ネギと白菜と人参のおじや
スパゲッティミートソース
朝のシチューをリメイクしたドリア
レタスとキュウリと人参のサラダ
パン
今日食べたもの(19日)
・朝
ほうれん草と白菜と人参と卵のおじや
・昼
ご飯
牛肉と蒟蒻と長ネギと人参と大根とニラの韓国風スープ
大根と帆立貝のサラダ 胡麻マヨネーズ風味
レンコンと里芋と牛肉の煮物
水餃子
・おやつ
えびせん
じゃこせん
おせんべい
みかん
かるかん
・夜
ご飯
お昼のおかずの残り
味噌煮込みうどん
以上、7日分です。
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