妻籠宿 Tsumago-juku
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妻籠宿は全国で初めて古い町並みを保存した宿場町である。馬籠宿の喧騒を後にして妻籠に来ると何か落ち着いた雰囲気があり、江戸時代にタイムスリップしたような気になる。木曽路最後の宿を妻籠宿にしたのは正解だったかもしれない。

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α55 2012:11:20 15:32:02
馬籠jから妻籠に着いたのは午後3時過ぎだった。 宿の人から午後4時までは宿場街道には入れないと聞いていたので それまでの間どこに駐車するか妻籠橋付近に車を止めて電話で確認する。200メートル先の白い家の前で待てくれといわれ直ぐ行くと車の窓を叩く人がいる。周りには旅館などない所なのであまりの早さにびっくりするが 番頭さんらしき人を車に乗せ4時まで仮に駐車する場所まで案内してもらう。 我々は時間があるので4時になるまで宿場町見物をすることにする。
α55 2012:11:20 15:33:04
妻籠宿本陣(現在は南木曽町博物館) 島崎藤村の母の生家で次兄広助が養子に来ていた。本陣は大名や公家が泊まるところで、武士は脇本陣、一般の旅人は旅籠というように泊まる所が区別されていた。
α55 2012:11:20 15:34:02
木曽路の宿場町の用水路はどこでもきれいな水が流れているので感心する。
α55 2012:11:20 15:32:23
妻籠郵便局。郵便資料館が併設されている。
α55 2012:11:20 15:36:50
妻籠の枡形の跡にある碑。
  Galaxy S 2012:11:20 15:41:24
枡形の坂には妻籠宿の番ネコ。 一瞬馬籠宿にいたネコかと思った。
α55 2012:11:20 15:43:34
町並みの行灯に灯がともり始めた。
α55 2012:11:20 15:43:42
寺下の町並み
α55 2012:11:20 15:49:33
宿の駐車場に車を入れるため一旦駐車場に戻る。
α55 2012:11:20 15:51:17
左手は脇本陣奥谷、代々脇本陣、問屋を務めた家で、島崎藤村の初恋の相手馬籠宿の大黒屋の「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもある。
α55 2012:11:20 16:13:43
宿の駐車場に駐車した後 食事の時間まで妻籠宿の散策を続けることにする。枡形の坂の上の方にある光徳寺を訪ねる。
α55 2012:11:20 16:14:32
この寺には、幕末から明治にかけての住職逐応和尚によって考案設計された、人力車の基ともいうべき「車付駕籠」が保存されているというが発見できなかった。
α55 2012:11:20 16:16:20
光徳寺の門前を守る番犬
α55 2012:11:20 16:22:34
寺下の通りに下りると学校帰りの子供たちの一団がいた。一人の子は熊よけと思われる鈴をチリンチリンと鳴らしながら歩いているが用途は不明。
α55 2012:11:20 16:22:54
お喋りしながら歩いているのでなかなか進まない。
α55 2012:11:20 16:23:09
「あぶらや」さんのきれいな飾りつけ。檜で出来たものなど売っているが、木曽では「ひのき」、「さわら」、「ねずこ」、「あすなろ」、「こうやまき」を木曽5木と言い伐採を禁じていた。盗伐すると「ひの木一本首一つ」と恐れられていたと言う。
α55 2012:11:20 16:24:14
ようやく寺下の町並みの端まで来たようだ。
α55 2012:11:20 16:25:08
空には月も出てきた。暗くなる前に家に着けるかな?
α55 2012:11:20 16:39:29
どの建物も二階が前に迫出した出梁造りである。 食事前に一風呂浴びようと思い帰途に着く。
α55 2012:11:20 16:43:00
行灯で旅籠の雰囲気をかもし出している。松代屋は創業180余年の宿であり 一瞬江戸時代にタイムスリップしたような気になる。
α55 2012:11:20 16:51:37
妻籠宿は外部の人が店を持つことが出来る奈良井宿などとは違い「家や土地を売らない、貸さない、壊さない」という住民憲章をつくり町並みの保存に力を入れていると言う。そのため高齢化が進んでいるようであるが それが落ち着いた町並みの佇まいの理由なのかもしれない。
α55 2012:11:20 19:46:18
宿に着くと先ほどの番頭さんらしき人が宿の御主人だった。部屋から先ほど車で待っていた所を探すが良く見えない。たぶん崖になっているところを駆け下りたのだろうがあの早さにはいまだに信じられない。宿での食事は心のこもったとても美味しい料理で他ではあまり食べれないようなものもあった。宿の女将さんに折り鶴を台にした記念写真をもらったが 20日はちょうど我々の結婚記念日でもあり、この旅で唯一自分が写っている写真となった。宿の女将さんに夜の妻籠宿の散策も良いといわれたので出掛かけてみるが、今夜はかなり冷え込んでいるようだ。
α55 2012:11:20 19:50:53
夏だと人通りも多いのだろうがちょっと寂しい。 11月23日に「文化文政風俗絵巻之行列」があり大勢の観光客が来ると思いその日を意図的にはずしたのだが誰もいないのも寂しい。宿の人によれば昨日と明日は満室で今日だけが谷間で我々と外国から来た女性が一人だけだと言う。食事の時ちょっと話すと ニュヨークから友達を訪ねてきたらしいが、平日友達が仕事している間に一人旅をしているとのこと。そう言えば馬籠宿にも外国人女性の一人旅を見かけた。
α55 2012:11:20 20:06:59
二人で影絵遊びをしてみた。
α55 2012:11:20 20:08:38
我々が泊まった宿「藤乙(ふじおと)」。この宿はここ4,5年は宿泊客の半分以上は外国からのお客さんだと言う。利用者の口コミで広がったのだろうが イタリアで10年以上仕事で過ごして戻って旅館の跡を継いだ御主人の力もあるのだろう。食事のメニューの一品一品を丁寧に英語で説明しているのには感心した。外国人の間で有名になったせいか、先日はアメリカのルース駐日大使がプライベートで家族と過ごしたそうだ。秘密になっていたようだが町中に県警がはりめぐされて町の人に分かってしまったとか。ちなみにその時ルース大使家族が泊まった部屋に我々も今日泊まったのだそうだ。トイレも洗面所も共同だが そんなところが日本的で良いのかもしれない。妻が私の田舎の実家に泊まりに来た様な気がすると言っていた。
EOS5DmkII 2012:11:21 09:04:48
翌朝起きて食後 車の進入規制が始まる午前10時までもう一度宿場町を散策することにする。妻は本陣や脇本陣の博物館を見学に行く。
宿の近くの赤い葉の植物には昨夜の寒さで霜が降りていた。
EOS5DmkII 2012:11:21 09:12:01
旧妻籠小学校、きれいに手入れされているがもう使っていないのであろうか?
α55 2012:11:21 09:16:00
霜の降りた冷たそうなスチールの上に黄色いイチョウが一枚。自分が置いた訳ではない。
α55 2012:11:21 09:17:26
落ち葉にも霜。昨夜宿の御主人が冬は霜が降りて宿の建物が浮き上がってしまうというようなことを言っていたが、昨夜3時頃宿の屋根の上をサルが駆け回るような音が気になって目が覚めた。馬籠でサルを見たからかと思ていたが、ひょっとすると霜柱の音だったのかもしれない。
α55 2012:11:21 09:19:08
赤い落ち葉を背景に
α55 2012:11:21 09:20:33
霜が降りた落ち葉を写していると、突然宿の若主人が「お客さん携帯忘れてました」と言って自分のスマホを差し出した。どうやら宿のどてらのポケットに入れ忘れていたらしい。駐車場にまだ車があるので町にいるだろうと町中探してくれたのだろうが よりによって宿場の一番端まで来てもらって感激するやら恐縮するやら。
EOS5DmkII 2012:11:21 09:28:36
朝日が寺下の大きな木まで上ってきた。
EOS5DmkII 2012:11:21 09:44:11
そろそろ車を出さないといけないので宿の駐車場へ戻る。
EOS5DmkII 2012:11:21 09:47:03
妻籠宿の高札場と水車
宿の人には山道は凍結しているかもしれないので中津川ICで中央道に入ったほうが安全だと言われたが、陽も高くなったし山越えしてみたかったので飯田山本ICに出ることにする。
EOS5DmkII 2012:11:21 11:59:56
飯田山本ICからの中央道は両サイドに南アルプスと中央アルプスを眺めながらのドライブで爽快であった。中央自動車道の駒ケ岳SAで南アルプスを望む。
EOS5DmkII 2012:11:21 13:25:20
諏訪湖 諏訪SAで昼食、ここで食べた蕎麦は安くて美味しかった。
EOS5DmkII 2012:11:21 13:56:24
駐車場横に紅葉がきれいな一角があったので一枚。
α55 2012:11:21 14:53:58
双葉SAにて富士山を望む。北アルプス、中央アルプスも南アルプスも素晴らしいけど やはり山なら最後は富士山で締めてもらおうと思う。
α55 2012:11:21 14:57:16
双葉SAにて斜光線の太陽を撮る。木曽路の旅も終わったが最後まで天気に恵まれた旅であった。今度は夏にでも赤沢自然休養林に行ったりトレッキングも良いかなと思った。




The end

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