塩小路通から今熊野へ/ 2015年12月11日 ●●● 京都駅正面を出て、駅前の塩小路通 を東に歩く。まずは、塩小路河原町 にある「柳原銀行記念資料館」。 柳原銀行は、同和地区に唯一設立さ れた銀行で、町内の皮革業者らに融 資をしていた。木造の建物を移築・ 復元、1997年に 資料館として開館 した。 廃校になった鴨川沿いの元・崇仁小 学校の敷地に「京都市立芸術大学」 が移転してくるときく。まずは音楽 ホールが出来るらしく、そうなると この界隈にもやっと光が当たるとい うことになる(市によると 2024年 度に移転終了予定)。 ![]() ![]() ▲左:柳原銀行記念資料館 ▲右:解体を待つ、元・崇仁小学校。 2015年春に催された芸術祭 "PARA SOPHIA" の作品の一部が残っている ![]() ![]() ▲崇仁市営住宅にたつ歴史案内看板。 「崇仁」の名は朱雀大路の東、七条と 八条大路の間「崇仁坊」に由来する ●●● 鴨川および「琵琶湖疎水」を塩小路 橋で渡る。ここから塩小路通は東に 向かい(若干)上り坂となる。 ![]() ![]() ▲左:勢いよく流れる琵琶湖疎水。 奥にJR東海道本線(京都駅は右手) ▲右:三十三間堂南大門。 門前がゴミ回収ポイントに… ![]() ![]() ▲坂本龍馬ら土佐志士寓居跡の石柱。 幕末期、智積院に土佐山内家の宿陣の ひとつがあったため、土佐の志士たち がこの近辺に住んでいたのだそうだ。 ![]() 龍馬は、妻となる龍にここで出会って いる。智積院辺りは、伏見街道や渋谷 街道といった要地で、約50mの標高か ら洛中が見下ろせた ●●● 「土佐志士寓居跡」の前に「大仏変 電所」という看板の建物がある。 大仏とは方広寺のことで、この辺り までが方広寺境内だったため「大仏 」という名前が残っている。 ![]() ![]() ▲左:塩小路通の文具店「裏具」 ▲右:塩小路通を東大路を越えて進むと 「旧市立芸大」正門となる(現在、大 学跡地は智積院の一部となっている) ●●● 旧市立芸大脇の坂道が、日吉南道。 この界隈は「今熊野」と呼ばれ、京 焼の街として知られる。 ![]() ![]() ▲左:とある窯元。街全体がこんな感じ ▲右: "横尾忠則的Y字路” をよく見かける ![]() ![]() ▲ここがベストな "Y字路" かと… ●●● 東海道本線のトンネル上を U字に曲 り、西へ向かって醍醐道を下る。坂 を下りきると東大路通今熊野の交差 点。そこから南が、今熊野商店街と なる。 ![]() ![]() ▲今熊野商店街のキャラは、もちろんク マさん。 目の前に後白河天皇創建の 新(いま)熊野神社がある ![]() ![]() ▲東海道本線を跨ぐ今熊野橋。橋の上に 今熊野のバス停がある(人が立ってい るところ)。慎ましくも誇らしげなア ールデコの橋柱 |