COURSE-32 早稲田小学〜大学 【 2007-04-20 UP 】


  地下鉄東西線早稲田界隈を歩いてみましょう。早稲田だけに今回訪れる建物の設計者
  は早大建築学科出身が多い。今年は4月1日に早実出身の斉藤投手と卓球の愛ちゃん
  が入学式を迎えたそうです。 取材:2007年4月6日


●地下鉄東西線早稲田駅を出て夏目坂の手前に、早稲田通から斜めに入る細い道がある。そこ
を少しばかり歩くと『新宿区立早稲田小学校』の立派な建物が見えてくる。設計は渡辺仁(1
887〜1973)で、横浜のホテルニューグランド(1927)と銀座の服部時計店(19
32)の間の時期の作品となる。

 大きな庇の下に装飾の付いた6連アーチのゲートを持った正面入口は、道路から数メートル
高い場所にあり威風堂々としている。震災後に作られた復興小学校には高輪台小学校(193
5)のようなバウハウス風のモダンなものもあるが、早稲田小学校は様式を少し臭わせた権威
的な意匠だ。しかし半円アーチの窓、スパニッシュ風の瓦の軒飾り、それに淡いピンクの外壁
色が建物全体に柔らかさを醸している。(色は竣工時と同様かは不明)
 帝大卒の建築家・渡辺仁は徳川義親邸(1930)のチューダー様式から、直線的でモダン
な外観の旧第一生命館(1938)まで様々なスタイルを具現化したことで知られる。


▲新宿区立早稲田小学校  1928・昭和3年 設計:渡辺仁設計事務所 施工:上遠組 ちょうど入学式当日でした

●早稲田通に戻り西進、馬場下町交差点の左先の早稲田大学戸山キャンパスに入る。スロープ
の正面に村野藤吾設計の『早稲田大学文学部』がある。時期的には横浜市役所(1959)と
日生劇場(1963)の間の作品となる。コンクリートフレームの間に硅質レンガがフランス
積みにされていて、横浜市役所と同じ発想で作られている。ここでも垂直の柱が上に行くにし
たがって細くなるという村野お得意のテクニックが披露されている。敷地の高低差が空間にダ
イナミックさを与えていて、下層部に繋がる空井戸風の光採りや排気口の蓋の意匠なども凝っ
ている。ステンレス製の階段手摺のカーブなども美しい。村野は早大卒の建築家で学生時代に
今井兼次(後出)らと共に考現学の提唱者・今和次郎(大正4年に助教授)に師事していた。


▲早稲田大学文学部・33号館  1960・昭和35年 設計:村野・森建築事務所  モダニズムの階段


▲排気口の蓋であろうか? このディテールへのこだわりが村野デザインです

●戸山キャンパスを出て左に進む。最初の信号を右に入ると突き当りに早稲田奉仕園(190
8年創立)の敷地がある。学生の寄宿舎の礼拝堂として建てられた建物は寄付者の名前を冠し
『スコットホール』と呼ばれている。設計はW・M・ヴォーリズで、東京では明治学院大学チ
ャペル
(1916)と主婦の友(1924)の間の時期の作品となる。

 L字平面の中間に立つ塔部は震災(1923)時に崩壊、高さをおさえて再建されたのが現
状のもの。1991年に改修工事を済ませている。赤茶色のレンガに庇裏や窓上の半円形レリ
ーフの白色がアクセントになったオシャレな建物で、週末は結婚式場としても活躍している。
留学生の宿舎や韓国系の教会もある敷地内は、インターナショナルな雰囲気が漂っている。


▲スコットホール 1921・大正10年 設計:W・M・ヴォーリズ建築事務所+今井兼次 (西早稲田2-3-1)

●馬場下町交差点に戻り左折、西早稲田キャンパスに向う。当日4月6日は早実の入学式で、
改築したての『大隈記念講堂』前は記念撮影のための行列が続いていた。今年10月の大学創
立125周年を記念した大改修はまだ終っていないのだが、入学式などのため臨時に工事囲い
をはずしていた。

 早大建築科の創設者で日比谷公会堂(1929)などの設計で有名な佐藤功一教授(187
8〜1941)が監修、実施設計は弟子である佐藤武夫(1899〜1972)が行い、彼の
実質上のデビュー作となった建物だ。コンペの審査員であった佐藤功一が「大隈庭園からの見
え方に配慮した案がない!」ということで自ら手を下したということです。なるほど半円アー
チが美しい大隈庭園側の表情はすばらしく、3連のとがったアーチが特徴的な正面に負けてい
ない。設計時、早大の総長は東大の安田講堂(1925)を意識してゴシック様式をリクエス
トしたが、結果的には荘重でかつ美しいロマネスク風に仕上がった。わざと軸線をはずして少
し斜に構えているところもガチガチの安田講堂に優っている。

 佐藤武夫は建築家として初めて音響工学の学位を得た人で、この講堂も優れた音響効果をも
っているそうだ。また大きく突き出た2階客席は、演劇鑑賞に使うということで内藤多仲の構
造設計により無柱で支えられている。改修のため剥がされた外壁タイルはベンチとして講堂前
に残されるらしいが、一部は《記念楯》として生協で販売されている。(12,500円)

●大隈講堂の南東向いの角に、ガウディと言うか何と言うか異様な集合住宅『ワセダエルドラ
ド』が建っている。設計は、工業製品化している昨今の様式に疑問を持つという梵寿綱(本名
:田中俊郎 1934〜)で、30年位前からこれと同様のサイケな建物を都内に作っている
建築家だ。資料によると、壁面レリーフやモザイクは職人たちが自由に施工しているのだそう
だが、2階から上ははじけた様子もなく整然としている。何でもありの日本でこの手の建物は
珍しくもないが、ガードレールも電柱も自販機もない交差点に毅然と立つ姿はむしろ清々しい
とも言える。 梵も早大建築学科卒である。


▲左/早稲田大学21号館・大隈記念講堂  1927・昭和2年 監修:佐藤功一 設計:佐藤武夫 施工:戸田組
   時計塔は大隈の「人生125歳」説にちなみ125尺(約37.8m)の高さなのだそうだ。
▲右/ワセダエルドラド 1983・昭和58年 設計:梵寿綱 (早稲田鶴巻町517)

●大隈講堂の斜め前の小さな書店の前を大学の塀にそって進むと、三角形の敷地に妙なカタチ
をしたコンクリートの建物に出会う。 早大建築学科卒の石山修武教授(1944〜)設計の
『真言宗豊山派・観音寺』で、鋭角の敷地に添って蟹の足のような巨大な雨樋!が辺りを威嚇
している。屋根の中央部が窪んでいて、どうやらそこからも集中的に雨水が滝になるみたいで、
ぜひとも豪雨時に見てみたい物件だ。建築の必須条件である雨仕舞を逆手にとった愉快な作品
であるが、よく施主がOKしたものだ。仏教は寛容なのだ。


▲真言宗豊山派 観音寺 1996・平成8年 設計:早大・石山修武研究室 施工:森田・尚和J.V.

●西早稲田キャンパスに入ってすぐ左に、今井兼次教授(1895〜1987)設計の『會津
八一記念博物館』がある。もとは大正末期に建てられた図書館だが、現在は考古学の発掘資料
や近現代の美術品を収集する博物館として一般にも公開されている。1階ホールには照明を埋
込んだ漆喰の大仰な柱があり、2階のカマボコ型天井の旧閲覧室が今は展示室になっている。
正面階段に三間四方の巨大和紙を用いたという横山大観の円形の作品が掲げられているが、1
998年にトータルメディア社により改修され、正面扉から階段へ…という本来のアプローチ
が閉ざされてしまった。

 この旧図書館が出来た1925・大正14年に、早大建築学科卒の今井兼次は、先の佐藤武
夫と《メテオール》という組織を結成しモダンデザインを目指したが、それにしてはこの建物、
外観にモダンさも面白味もない。今井は同じ1925年竣工の九段の山口邸をスパニッシュで
仕上げ、戦後の作品である碌山美術館(1958)は教会風で…などと、スタイルが多岐にわ
たる(一貫性のない)建築家のようだ。 しかし、日本にガウディを初めて紹介したとされる
今井は1960年代から豹変したかのようにガウディーな作品を残していて、本郷の東洋学園
大学(1961)、長崎の26聖人記念館(1962)、皇居東御苑の桃華楽堂(1966)
では、タイル壁画もデザインしている。


早稲田大学2号館・會津八一記念博物館 1925・大正14年 設計:今井兼次
▲左/正面扉の八角窓  會津八一教授(1881〜1956)は東洋美術史研究者として、また歌人・書家として知られる
▲右/南門から眺める  縦7段の窓だが、いったい何階建てなのだろう?

●西早稲田キャンパスの北端に立つチューダー様式の建物が、早大の教授にして小説家・劇作
家でもあった坪内逍遥(1859〜1935)の古稀を記念して建てられた『坪内博士記念演
劇博物館』だ。彼の発案で16世紀のロンドンの劇場・フォーチュン座を模したこの建物、設
計は前記と同じ今井教授である。
 フォーチュン座は両翼が桟敷席、広場が一般席になっていて、それを模したこの建物自体が
劇場資料となっているのだそうだ。演劇に関する数十万点に及ぶ膨大なコレクションを持つ日
本唯一の演劇専門博物館で、折しも「劇団黒テント39年の足跡展」が開催されていた。
 西早稲田キャンパスは、他に政経学部3号館や教育学部6・7号館の細部に見どころがある
のでゆっくり歩いてみてください。学生によるキャンパスツアーもあります。


早稲田大学5号館・坪内博士記念演劇博物館 1928・昭和3年 設計:今井兼次
▲左/内部は落ち着いていて展示も悪くないのだが、廊下はスッキリさせて欲しい…
▲右/ラテン語で「全世界は劇場なり」の意味、Totus Mundus Agit Historionem と書いてある

▲ T O P ▲