COURSE-33 目白通り〜音羽通りへ 【 2007-05-02 UP 】


  JR目白駅から目白通を東へ進みます…音羽通へ出たら左折して護国寺まで一直線…
  目白通は学校の多い落ち着いた通りです。   取材:2007年3月3日+4月21日


●まずは駅から30秒!の学習院からスタートです。ここ目白(旧:東京府下高田村)に移転
してきたのは明治41・1908年でその時の学長(第10代)があの乃木希典だったのです。
正門の奥、林の中にグレーの木造平屋の建物『旧図書館』がある。明治42年に建てられたも
ので今は史料館として活躍している。外壁の板の張り方が下見張りや縦張、X字、放物線あり
と多彩で面白い。木漏れ日が軽井沢の雰囲気で…さすが学習院です。東隣には黒塗りの2階建
木造建築『東別館・旧別寮』(大正2・1913年)も残っている。

とがった入口とアーチ窓が特徴的なゴシック様式の『西一号館(1930)・南一号館(19
27)』がキャンパスの奥で貫禄をみせていて、その前に前川國男設計のピラミッド型『中央
教室』(1960)が鎮座している。2002年日建設計により作られた西2号館など、ゴシ
ックアーチを意匠に取り入れていて、キャンパスにアイデンティティが感じられる。
前川は図書館(1963)の他にピロティのある北1号館、打ち込みタイル工法の南5号館な
どを設計しているが、どの建物においてもゴシックアーチの意匠は無視している。前川作品を
じっくり見ることのできる以外な場所です。


▲上左/学習院大学史料館・北別館(旧図書館)  1909・明治42年 設計:宮内省 もうすぐ築100年です
▲上右/学習院大学西一号館  1930・昭和5年 設計:宮内省 RC3F ゴシックアーチが特徴的
   /学習院大学中央教室  1960・昭和35年 設計:前川國男  1辺30m、高さ25mのピラミッドです
    同時期の前川作品としては東京文化会館(1961)がある

●次ぎのポイントは、目白通が明治通を跨ぐ『千登世橋』です。昭和7年につくられた都内は
じめての幹線道路同士の立体交差橋で、都電を跨ぐ『千登世小橋』とセットになっている。2
つの橋の間には交番もある。アールデコ調の親柱と重厚な石造りの階段が、並の陸橋でないこ
とを物語っている。


▲上左/千登世橋  1932・昭和7年  一径間鋼ヒンジアーチ橋。 石造りの階段が立派です
▲上右/都電を跨ぐ千登世小橋の親柱ランプ   デザインはこちら小橋側に軍配があがる

●千登世小橋を過ぎて目白台2丁目の交差点を不忍通方向に進む。しばらく歩き小さな郵便局
が見えたら左折、うねうねと何となく坂を上がっていくと白いペンキが鮮やかな洋館『豊島区
立雑司が谷旧宣教師館・旧マッケレーブ邸』に出会う。宣教師ジョン・ムーディ・マッケレー
ブの住宅として明治40・1907年に建てられたアメリカ郊外住宅風の建物で、今年でなん
と築100年!ということになる。豊島区内最古の木造建築のため区が改修して公開している。

 玄関ポーチの下向きに突き出した角材や窓枠の格子(イニシャルのMMに見えませんか!)
が面白い。天井材に竹を用いた部屋もあり和洋折衷が感じられる。当時の一帯のジオラマも展
示してあり、畑また畑ののどかな様子がうかがえる。横浜山手の洋館みたいに観光地化してい
ないため、ゆっくり建物を味わえるので家づくりを試みるひとはここで空間シミュレーション
してみるといいと思う。


▲豊島区立雑司が谷旧宣教師館 1907・明治40年  1999年に都指定有形文化財  (雑司が谷1-25-5)

●再び目白通に戻る。目白台2丁目の交差点の先に日本女子大学のキャンパスがある。正門の
左手のレンガ造りのロマネスク風の建物は『日本女子大学成瀬記念館』(1984)で創立者
成瀬仁蔵(1858〜1919)を称えてつくられた建物だ。創学当時の校舎取壊しの跡地に
建設されたもので、古材を様々な部分に利用しているそうだ。内部はアーチになっていて2階
には成瀬の偉業を偲ぶ品々の展示と、イベントに対応したギャラリーがレイアウトされている。

 成瀬記念館に対面して建っている教会のような建物は『成瀬記念講堂』で、創学(1901)
直後の1906・明治39年に清水組の技師・田辺淳吉(1879〜1926)の設計で図書
館として建てられたもの。悪くいえば物置きにも見えてしまうこの建物は、当初レンガ壁だっ
たが震災で被害を受け木造外壁に改修された。向いのレンガタイルの成瀬記念館はオマージュ
だったのか…
キャンパスの最奥には1901年築の『旧成瀬校長宅』も残っている。(不忍通から見える)
田辺は同じ1906年に第一銀行京都支店を竣工させ、東京では第一銀行創設者・渋沢栄一の
喜寿記念に建てられた『晩香廬』(1917)の設計で知られている。大正末期にはここ日本
女子大学で教鞭もとっている。


▲上左/日本女子大学成瀬記念館 1984・昭和59年 設計:浦辺設計 施工:清水組 RC2F
▲上右/日本女子大学成瀬記念講堂 1906・明治39年 設計:田辺淳吉 施工:清水組 文京区指定有形文化財(1974)

●目白通を進むと右側にかの田中邸がある。枯れ葉が吹き溜った門が心無しか寂しそう…
KKRの広い運動場の隣が学生寮・和敬塾の敷地で、奥まったところにRC3階建ての『和敬
塾本館』が隠れるように建っている。昭和11年に細川侯爵邸として建てられたもので、駿河
台にあった明治大学(1932)を設計した大森茂の手になる。しかし大森は工事直前に実務
からはなれ、臼井弥枝が引き継いだと資料にある。和洋折衷の意匠が特徴的で、庭側から眺め
ると複雑な外観をもっていて増築でこうなったのだろうか? 煙突の上の《家》が可愛らしい。

 戦後オランダ軍に接収されていたがその後、産業用冷凍機のメーカーである前川製作所が購
入し、広い敷地に500人近い学生が住む学生寮・和敬塾とした。この本館は2003年に改
修を済ませ結婚式などのイベントホールとして活躍している。敷地南には細川家伝来の文化財
を管理公開している『永青文庫・旧細川家事務所』(1930・設計:佐藤工業事務所)がある。


▲和敬塾本館 1936・昭和11年 設計:大森茂→臼井弥枝(ひろし) RC3.B1F (目白台1-21-2)
 座敷牢があるというウワサもある…  1998年に都指定有形文化財・月2回水曜日に見学可

●椿山荘の前に威容をあらわすのが丹下健三設計の『東京カテドラル聖マリア大聖堂』…。
説明パンフには8面の双曲抛物面を垂直に近く立てた構造…とあるが、十字架状の巨大な屋根
で出来た建物だ。 同時期に竣工した代々木競技場の屋根の曲線とともに《美しい丹下》がそ
こにある。 竣工から40年以上経て(起工は1960年)雨漏りがひどく、今秋9月まで8
億円の費用をかけてステンレス屋根を葺き替える大改修に入っている。足場が組まれた聖堂な
んてこういうチャンスにしか見ることができないので得した気分になる。
最上部まで40mちかくある大空間の内部では、工事中にもかかわらず結婚式が行われていた。
写真右のコンクリートの塔は上部に4つの鐘をもつ鐘塔で、高さは約61mもある。地下の小聖
堂や敷地裏手にある2階建ての『大司教館』も要チェックです(階段が立派!)。

●大聖堂の隣に、まるでコルビュジェのアトリエ建築のような『独協中学・高等学校』が建つ。
コンクリート壁の隅部にブルーがかったガラス板が嵌め込まれ、黒いコーキングが全体を引き
締めている。築10年に満たないが、すでに知的な風格を漂わせているすばらしい建物だ。
独協とは1883・明治16年に独逸学協会が創立した学校が始まりで、初代の校長は日本近
代哲学の父・西周(あまね)。敷地に斉藤さんというお宅がくい込んでいるのだが、学校の関
係者なのか?他に事情があるのだろうか?


▲上左/東京カテドラル聖マリア大聖堂 1964・昭和39年 設計:丹下健三+都市・建築設計研究所 施工:大成建設
▲上右/独協中学・高等学校 1998・平成10年 設計:赤坂喜顕+竹中工務店 施工:竹中工務店 SRC.RC5.B1F

●高速道路をくぐり目白坂下に出る。左折し音羽通を護国寺方向に歩くと右手に鳩山邸の門が
見える。 『鳩山会館・旧鳩山邸』は自由党の鳩山一郎の私邸で、旧姓中学以来の友人である
岡田信一郎が設計した英国カントリーハウス風の邸宅だ。1996年に改修を済ませ鳩山会館
として公開されている(入場料:500円)。音羽御殿と言われているにしてはこじんまりし
た建物で庭も思ったより狭い。 毎年ここで鑑桜会が催されるそうだ。
 石造りの基礎の上に表情の異なる1階・2階がのっているのだが、妙にフラットな外壁タイ
ルが建物全体に嘘っぽさ(厚みのなさ)を漂わせている。庭からの景色しか見どころはない。
様々な様式を器用にこなす岡田信一郎としては歌舞伎座(1924)と同時期の作品である。


▲鳩山会館・旧鳩山邸 1924・大正13年 設計:岡田信一郎  縦樋の上端に白い鳩(円内)が…アホくさ〜
 タイルそのものがチープなのか?!ペラペラな感じがしてならない。緑青色に塗装された雨樋もわざとらしい

●音羽通をさらに進むと左手に26階建ての講談社の新社屋(2000年・設計:菊竹清訓)
が見える。曾禰・中條建築事務所の設計で1934年に建てられた『講談社旧本館』は、この
新社屋建設の折にピカピカにリニューアルされた。正面の2本組の柱が威圧的な割には上部が
スッキリしていて、3つのバルコニーと小庇風のコーニスがなければモダンですらある建物だ。
 現在、玄関前のゲートは書籍・雑誌の入った大きなショーケースでふさがれてしまっていて
建物がマスクをしているように見える。曾禰・中條建築事務所の同時期の作品としては京橋の
明治屋(1933)がある。ここは1986年12月のタケシ事件の現場でもある。
向いの和菓子群林堂には長い行列が出来ていた…


▲講談社旧本館 1934・昭和9年 設計:曾禰・中條建築事務所 施工:大倉土木 RC6F

▲ T O P ▲