COURSE-35 日比谷接収通 AVE "A"【 2007-5-24 UP 】


  今回は皇居のお濠に沿って日比谷通りを真直ぐ南に進みます。
  進駐軍が AVE "A"と名付けたこの通り沿いには、多くの近代建築が残されています。
  接収を見越して爆撃対象から外していたのでしょう。   取材:2007年5月
  (本文黒字の接収建物のデータは「東京人・2002年9月号/たてもの東京昭和史」によります)


●馬場先門交差点に立つ大きな建物『明治生命館』からスタートです。
鳩山邸(1924)歌舞伎座(1924)黒田記念館(1928)博報堂(1930)などの
設計で知られる《様式建築の鬼才》岡田信一郎(1883〜1932)の代表作であり遺作。
ルスティカ積みの1階、コリント式大オーダーが支える2〜6階、屋階の7・8階という3層
構造をもつネオルネサンス様式の壮麗かつ大容量の建築は、昭和のビルとしては初めて国の重
要文化財に指定された。
郵船ビル / 20年9月接収 / 参謀第二部、翻訳通訳部隊
明治生命館 / 20年9月接収 / 対日理事会、法務局、国際検事局、米極東空軍司令部


▲明治生命館  1934・昭和9年  撮影2005年11月
 設計:岡田信一郎 意匠:岡田捷五郎 構造:内藤多仲 施工:竹中工務店 SRC8.B2F

月に1回内部の一部を拝ませていただける。《建物の老後》にも保険金が使われていると思う
と、不払いネタにも腹がたたない?… 訳ないでしょ。


▲明治生命館内部/対日理事会の会場となったのは2階の第一会議室で見学コースに入っている 撮影2005年11月
 内部公開=毎月第1日曜(1、5月は第2日曜) 10:30〜16:30/無料


●明治生命館の先に、マリオン(窓の縦仕切)の連続を意匠にした同じトーンの外観を持つ兄
弟ビルが並んでいる。朱泥タイルと黒御影石の1・2階、カーテンウォールの3〜8階、少し
リズムを変えた9階という3層構造をもつ『東京會館』と、東宝の演劇劇場『帝国劇場』だ。
帝国劇場も3層構造で仕立てられていて、外観のベースカラーも黒と朱色だ。不粋な文字看板
がなければ落着いたオフィスビルにしか見えない。
 この2つの建物、ともにモダニズム建築家・谷口吉郎の設計で、帝国劇場が兄貴分で5年早
い竣工だ。渋沢栄一や大倉喜八郎らの手により明治44年に建てられた旧帝国劇場(設計:横
河民輔)は、戦後映画館となり解体前の最後の上映は「アラビアのロレンス」だったそうだ。
東京會館 / 宿舎(ユニオン・クラブ)


▲東京會館  1971・昭和46年 設計:谷口吉郎 施工:竹中工務店、大林組、大成建設 J.V.
▲国際ビル・帝国劇場  1966・昭和41年 設計:三菱地所・谷口吉郎(外観デザイン+劇場) 施工:大林組
 遠方(バイクの上)が明治生命館


●帝国劇場の隣が『旧第一生命館』だ。早稲田小学校(1928)旧服部時計店(1932)
旧日劇(1933)に続く時期の渡辺仁(1887〜1973)の作品で、先の明治生命館と
同じく10本のオーダーが特徴的な外観だが、こちらは簡易な直線で仕立て上げられている。
 日中戦争開戦後の昭和13年竣工のこの建物の屋上の床は、爆撃にも耐える戦時仕様になっ
ていたそうである。裏接の同じ渡辺仁設計の旧農林中央金庫とともにリノベーションされ、新
しいDNタワー21(第一農中ビル)の一部として記念碑的に存在している。旧建物の直線的
オーダーのデザインが、そのまま新しい高層部にも引用されているのが好ましい。
9・11の後一時閉鎖されていたマッカーサーの部屋は、今は公開されているのだろうか?
第一生命館 / 20年9月接収 / 連合国総司令部


▲旧第一生命館  1938・昭和13年 設計:渡辺仁、松本与作 施工:清水組 SRC8.B4F
 高層部は DNタワー21 1995・平成7年 設計:ケヴィン・ローチ 施工:清水建設  丈夫で長持ち…って感じの建物です


●第一生命館の裏手、同じ渡辺仁設計の『旧農林中央金庫』のイオニア式列柱もリノベーショ
ンされて、DNタワー21に薄皮のように貼り付いて余生を過ごしている。
農林中央金庫(下左写真の建物) / 20年9月接収 / 経済科学局

●DNタワー21の隣のスッキリとしたビルが『蚕糸会館』。TOTO出版・建築MAP東京
によると「絹のもつ光沢を表現することにデザインの主題をおき、反射ガラスとアルミパネル
によるカーテンウォールが滑らかに外観をまとめている」とある。フラットな窓ガラスと腰壁
がストライプ状に建物をめぐる様は、銀座泰明小学校の脇にあった土浦亀城の名建築『旧徳田
ビル』(1932)を想起させる。
 旧建物は昭和8・1933年竣工で、設計は山下寿郎。 隣には昭和14・1939年竣工
の渡辺節設計の『旧糖業会館』が最近まで渋く残っていたが、2004年に建て替えられた。


▲上左/旧産業組合中央金庫(農林中央金庫)  1933・昭和8年 設計:渡辺仁 施工:清水組 SRC6.B1F
    高層部がDNタワー21 1995・平成7年 設計:ケヴィン・ローチ 施工:清水建設
▲上右/蚕糸会館  1983・昭和58年 設計:日建設計  有楽町駅前の『交通会館』(1965)ともソックリだ!


AVE "A" 日比谷通りに戻りさらに南下しよう。
●保存運動もむなしく、5月に解体が始まった近代建築ツアーの聖地・『三信ビル』を見る。
ボルトの頭を表面に現している石貼りの1〜2階、3連窓がリズミカルな3〜7階、セットバ
ックされた8階という3層構造の外観をもつ幅100m近い大きなビルだ。入口上の外壁のふ
くらみと、隅のアールが建物全体にソフトな印象を与えている。1・2階のアーケードはヴォ
ールト天井の吹き抜けになっていて、アーチや手摺それに円形のエレベータホールの意匠が豪
華だった…が、もう目にすることはできなくなった。

 設計は大手町の日本工業倶楽部(1920・大正9年)などを手がけた横河工務所の松井貴
太郎(1883〜1961)で、松井は先の岡田信一郎と帝大の同期でもあった。
向いの『日比谷三井ビル』(1960・松井の設計と聞いたが未確認)も法定耐用年数の47
年を待つようにして三信ビルと運命をともにするみたいだ。働き盛りの40代後半のビルです
ら、壊されていく昨今です。
三信ビル / 20年9月〜25年6月接収 / 第71通信隊
帝国生命館(三信ビル隣の交差点角) / 20年9月接収 / 米憲兵隊司令部、法務局


▲三信ビル  1929・昭和4年 設計:横河工務所(松井貴太郎) 施工:大林組 SRC8.B1F 撮影2007年3月
 隣の交差点角にあった旧帝国生命館は同じ1929・昭和4年竣工、設計:桜井小太郎 施工:竹中工務店 SRC8.B1F
▲上右/地下の休憩コーナーに飾ってあったステレオ合成写真(三井が罪滅ぼしに作ったパネル) 2004〜5年頃


さらにAVE "A" 日比谷通りを南下します。
●村野藤吾の代表作ともいえる『日生劇場』(1963)の隣には、学士会館(1928)や
駒場・前田侯爵邸(1929)の設計で知られる高橋貞太郎(1892〜1970)の『帝国
ホテル新本館』が続いている。
 ホテルの低層部はインド産のサンドストーン仕上げだが、これは岡山産万成岩で日生劇場を
仕上げた村野藤吾が調和を考えて高橋にアドバイスをした結果なのだそうだ。
帝国ホテルは昭和10年代にはすでに建て替えの話しがあり、高橋の事務所に改築設計の声が
かかっていたということで、つまりリベンジの作品ということになるが同時に遺作ともなった。
帝国ホテル / 20年9月接収 / 宿舎

●日生劇場の裏手にあるゴシックの塔のような建物が2000年竣工の『東京宝塚ビル』だ。
スリット窓の外壁がまるで《玉すだれのように》南東角に迫り上がっていく様は、新しいゴシ
ックのカタチを提示しているようで興味深い。小林一三が作った旧宝塚劇場(1933〜19
97 設計・施工:竹中工務店)も接収され、アーニー・パイル劇場だったことは有名だ。
東京宝塚劇場 / 20年12月接収 / アーニー・パイル劇場


▲上左/日本生命日比谷ビル・日生劇場  1963・昭和38年 設計:村野・森建築事務所 施工:大林組 SRC8.B5F
    帝国ホテル新本館 1970・昭和45年 設計:高橋建築事務所 施工:鹿島建設、清水建設、大林組 J.V.
    (F・L・ライト設計の帝国ホテルは1923年竣工〜1967年取壊)
▲上右/東京宝塚ビル  2000・平成12年 設計・施工:竹中工務店  撮影2005年10月


●帝国ホテルの向いが明治36・1903年オープンの『日比谷公園』。北端には明治43・
1910年竣工のバンガロー風木造建築『旧公園事務所』がある。設計は東京府技師・福田重
義で、1963年まで実際に使われていたそうだ。今もフェンスで囲われて保存されている。

 公園南に立つのが、スクラッチタイル貼りのネオゴシック風『市政会館・日比谷公会堂』の
大きな建物だ。設計は早大建築科の創設者で大隈講堂(1927)の監修などで有名な早大・
佐藤功一教授(1878〜1941)で、大隈講堂に比べると随分トガッたネオゴシックだ。
 東京市長の後藤新平が設立した調査機関・東京市政調査会が、安田財閥の寄付を受け建設し
た建物で、付設の公会堂は東京市の管理に委ねられた…と、入口のプレートに書いてある。
冗談でPC上で左右40%程度に長体をかけてみたら、先の宝塚ビルとソックリになった!

 隣には2008年11月に創館100周年を迎える『日比谷図書館』がある。現在の建物は、
1952・昭和27年のもので、当時の館長土岐善麿が《三角形の建物》を発想したそうだ。
当初内装に障子を用いていたそうで、建て替えの折にはこの障子をぜひ復活させてほしい!

日比谷公園 / 21年1月接収 / ムーンライト・ガーデン、ドゥーリットル球場
市政会館 / 20年12月接収 / 民間検閲支隊
時事通信社 / 20年12月接収 / オフィス


▲上左/市政会館・時事通信社  1929・昭和4年 設計:佐藤功一 施工:清水組  SRC10.B1F
    安田講堂(設計:内田祥三・岸田日出刀、竣工:1925・大正14年)に似ている!?
▲上右/日比谷図書館 1952・昭和27年 設計:東京都建築局・高橋武士  三角と螺旋が面白い外階段


●市政会館の向いの、丸屋根と小窓の連続が特徴的な建物が『日本プレスセンター』である。
(新聞・放送・通信各社によって1969年に創設された日本記者クラブの建物)
接収通りツアーの締めにふさわしく、進駐軍のカマボコ兵舎の屋根を頂いている。全体のカタ
チは、ルドゥーあたりの新古典主義風デザインでもある。正面半円アーチの両裾にある持送り
の階段状の意匠(黄色○)が印象的だ。
 この建物は、あえて高さを抑えて作られてあり、余剰容積率を隣接する日比谷シティの2つ
のビルに移したのだそうだ。先の市政会館なども含め、かつて《メディア村》であった内幸町
一帯は、進駐軍のメディアがらみのセクションに接収された。
放送会館(現:日比谷シティ) / 20年9月接収 / 民間情報教育局、民間検閲局、占領軍放送

●日比谷通り沿い、日比谷シティ向いに面白いカタチのビルがある。わずかな曲面をもつファ
サードはシャープなマリオン(窓の縦仕切)で構成され、襞のような建物下部にエントランス
の白フレームが組み込まれている。少し怪しげな雰囲気もするが、ごくフツーのビルである。
マリオンのファサードといえば有楽町マリオン(1984)だが、こちらのほうが早い。


▲上左/日本プレスセンター  1976・昭和51年 設計:日建設計  背後が容積率をもらった富国生命ビルと国際ビル
▲上右/幸ビルディング・東洋製缶(株)  1980・昭和55年


▲ T O P ▲