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COURSE-09 横浜関内建築散歩【2005-9-8 UP】2007-5-17 中央病院を追加
前回は古い建物の《薄っぺらな保存例》を巡ったので、今回は同じ関内 にある★★★な建物を見てまわることにしよう。横浜スタジアム前から スタート〜馬車道〜本町通り〜日本大通り経由でスタジアムに戻ります。 前回08と同エリアなのでセットにして周ってください。 キング・クィーン・ジャックはあまりにも有名なので除いています。 ●横浜スタジアム前、村野藤吾設計の『横浜市役所』からスタート… 同じ村野設計の広島世界平和記念聖堂(1953)と同様に、コンクリートの柱に レンガを詰める手法で作られている。柱のグリッドと窓と壁の変則リズムが面白い。 建物隅の柱が上にいく程細くなっていることなど、ディテールにこだわる村野らし い配慮に感心する。ちなみに同じ村野の手になる日生日比谷ビルは、逆に上にいく 程ヴォリューム感がある(迫り出す感じ)ように作られている。 開港百周年記念事業で建設された当時、脇の運河(派大岡川)はまだ流れていたし、 JR根岸線の高架もなかった(工期/1959年春〜1964年)。 ![]() 横浜市役所 1959・昭和34年 設計:村野森建築事務所 柱が細くなっていくのがわかる 撮影2007年2月 (2007.5.16)大規模改修?が始まるみたいでフェンスで囲われていた ●市役所の向かいに3階建てのチャーミングなビルが円弧を描いている。 このガラス貼りの建物は、県警の分庁舎として使われているみたいだが、もともと は何だったのだろう。この辺りは終戦直後は馬車道まで更地だったので、戦後の築 であることだけは確かだ。実はレーモンド設計だったりして… ![]() 神奈川県警察本部尾上町分庁舎 撮影2007年2月 ●一旦横浜公園を過ぎ、中華街西門の先に立つ『社会保険横浜中央病院』を見よう。 設計は日本近代建築運動の先駆けである分離派の山田守(1894〜1966)だ。 避難路にもなるバルコニーの手摺りが大きな窓の病室をやさしく取り巻いていて、 開かれた感じのする建物だ。エントランスの大庇の支柱は、山田得意の噴水型(朝 顔型)のデザインだが、残念ながら植栽で隠れてしまっている。やたらに大きい屋 上の文字看板が建物のスッキリ感を損なっている。 山田としては飯田橋・旧厚生年金病院(1953)、川崎・長沢浄水場(195 7)と最晩年の武道館(1964)の間の作品となる。 ![]() 社会保険横浜中央病院 1960・昭和35年 設計:山田守 施工:安藤建設 撮影2007年5月 ●再び横浜公園に引き返し、尾上町通り(上写真の左道路)を桜木町方向に向かう。 しばらく歩くと左手に目に入る教会が『指路教会』だ。最初の建物は、明治25年 にヘボン式ローマ字の生みの親である アメリカ人宣教師ヘボンによって建てられ、 教会の名称は彼の母教会名「Shilor Church」に「指路」という字をあてたと資料 にある。 現在の建物は、震災後に再建されたもの。周りに塀や余計なものがないところが、 海外の教会っぽくてカッコいい。(隣のビル壁がフラットなのが良かった)すっき りと毅然としたこの建物は、周辺の良質なランドマークになっている。 ![]() 横浜指路教会 1926・大正15年 設計:竹中工務店(石川純一郎) ゴシックアーチが船の舳先に見えませんか? ●馬車道を海方向に歩こう。県立歴史博物館(1904)を過ぎ、本町通りに出る。 角にあるのが1929年竣工の『旧富士銀行』で、荒積みの外壁と太い円柱が印象 的な建物だ。今は東京芸術大学大学院映像研究科の校舎として使用されている。 写真の右側の少し出っ張っている部分は1954年の増築部分。 ●桜木町方向に進むと左手すぐに赤レンガの『本町ビル(旧帝国火災)』がある。 セットバックした5階部分と軒装飾などが特徴的なビルで、八楠(YANAN)という 会社が入っている。 (2007年1月現在:上階は「本町ビルシゴカイ」と名付けられ BankARTの関連施設となっている) 向かいには「旧第一銀行」(1929)「旧横浜生糸検査所」(1926)が建つ。 ![]() 上左/旧富士銀行 1929・昭和4年 設計:旧安田銀行営繕課(本町4-45) 撮影2007年2月 上左/本町ビル 1929・昭和4年 右側の外階段がカッコいい、WEST SIDEだ!(本町5-49) ●ここでUターン、本町通りを元町方向に進む。関内大通りとの交差点にあるアー ルデコ調の『横浜銀行協会』は、銀行関係者の親睦の場として建てられた横浜銀行 集会所(1905)を1936年に建て替えたもの。 設計は林豪蔵(横浜高等工業学校(現:横浜国大工学部)教諭)、施工は清水組。 テラコッタ色の飾りや六角窓がチャーミングな建物だ。1965年に手形交換所と して増築された4階は、深い庇がライト風で悪くはないが屋上のフェンスは不粋だ。 地下に渋い理髪店があったが、昨秋に閉店とのこと。 斜向かいには「旧第百銀行横浜支店」(1934)が建っている。 ![]() 横浜銀行協会 1936・昭和11年 道路からでも細かい装飾を見ることができる(本町3-28) ●「横浜銀行協会」から海方向を見ると、突き当りに『横浜郵船ビル』(1936) のコリント式円柱が見える。震災で倒壊したレンガ造の建物(1888)を再建し たもので、スケールは違うが日本橋の三井本館のコリント式列柱を彷佛とさせる。 設計は芸大出の建築家・和田順顕(1889〜1977)で翌年の1937年には 信濃町・北里記念図書館を竣工させている。 ●「横浜銀行協会」に戻り本町通りを元町方向にさらに進むと、4本のイオニア式 の付柱をもつ『三井住友銀行横浜支店』の白い建物が目に付く。かの三井本館(1 929)を設計したトローブリッジ&リヴィングストン社が手がけた建物です。 隅部のフラットな処理が残念、アールがいいのにと思ってしまう。 ![]() 上左/横浜郵船ビル 1936・昭和11年 設計:和田順顕建築事務所 施工:大林組 (海岸通3-9) 上右/三井住友銀行横浜支店 1931・昭和6年 設計:T&リヴィングストン社 施工:清水組 (本町2-20) ●本町通りを元町方向にさらに進む。「横浜市情報文化センター」(1929)を 過ぎると大さん橋通りとの交差点近くに『日本赤十字社神奈川県支部』がある。 超!シンプルな小さな建物は、昭和9年竣工で入口脇の赤十字マークのフレームが 実に「立派」に造られていて面白い。 設計は県の営繕管財課とのこと。 ![]() 日本赤十字社神奈川県支部 1934・昭和9年 小さな建物なので見逃さないこと! ●日赤の斜め向かいにある小振りながらも重厚感のある『旧露亜銀行横浜支店』は、 イギリス人建築家バーナード・M・ウォードの手になるもので、何と関東大震災前 の大正10年頃竣工という歴史を誇っている。 ロシアの国策銀行である露亜銀行の後は、独領事館や入管などを経て近年は警友病 院が入っていたが、2007年2月現在空き家。 再利用への注目度は高い! 建物全体にダイナミックな感じはないが、イオニア式の付柱や、窓廻り・入口上の 装飾などが手に触れられる近さにあって結構迫力がある。 ![]() 旧露亜銀行横浜支店 1921・大正10年頃 壊される訳でもなく使われる訳でもなく所在なく立っている様子だ 撮影2007年2月 ●本町通りをUターン、左折し日本大通りに入る。角の横浜市情報文化センターの 隣に位置するのが1911・明治44年に建てられた『三井物産横浜ビル』。 日本最初の鉄筋コンクリート建築として有名!。建物の隅部のアールがやさしい。 この写真は銀杏の色の鮮やかな晩秋の撮影で、写真左奥の1910年竣工の倉庫と 相まっていい雰囲気を漂わせていている。 ●その先横浜スタジアムの前にあるのが『旧関東財務局横浜財務事務所』で、元は 旧日本綿花の横浜支店として建てられたもの。戦後に国が買収、その後2003年 に横浜市が取得して現在BankARTが使用している。 設計の渡辺節(1884〜1967)は、関西を中心に綿業会館(1931)な ど多くの作品を残した様式建築家で、横浜市役所を設計した村野藤吾の師でもある。 褐色のスクラッチタイル貼りのスッキリとしたビルで、日本大通り側の玄関周りの 装飾はなかなかのもの。本館・別館の間の中庭に併設されたカフェは財務をもじっ て「ZAIM」と名付けられている。 ![]() 上左/三井物産横浜ビル 1911・明治44年 設計:遠藤於菟 木で隠れている部分が1927年増築の2号館 (2007.5.16)大規模改修が始まるみたいでテナントが出始めていた 上右/旧関東財務局横浜財務事務所 1928・昭和3年 設計:渡辺節 撮影2007年2月 ●日本大通りの突き当たりの公園を抜け、スタジアムの中華街寄りにある渋い建物 が『ストロングビル』です。オーナーのストロング極東商会は明治初期から関内で 活躍した居留地商社。 設計は横浜生まれの矢部又吉で、前回(3)(4)も彼の 作品。 入口の両脇の石製の球体がいたずらされずに良く残っているものだ。 築地の「旧全国石油会館」のampmに並ぶ『歴史的コンビニ建築』だが、建物に 対するリスペクトはこちらが優っている。 ![]() ストロングビル 1938・昭和13年 2階と3階の間のコーニス(軒装飾)も印象的 (2007.5.16)いよいよ取壊しが始まるみたいでテナントが出始めていた 日付けのない撮影はすべて2004年11月 ▲ T O P ▲ |