COURSE-24 上野〜浅草を巡る  【 2006-10-28 】
堺屋酒店・黒澤ビル・旧坂本小学校・比留間歯科を追加。 テキストの見直し (2007-12-03)


  上野松坂屋〜 聚楽〜 堺屋酒店〜 黒澤ビル〜 上野駅〜 旧坂本小学校〜
  比留間歯科〜 旧下谷小学校 〜 都立白鴎高等学校 〜 旧小島小学校 〜 
  善照寺 〜 神谷バー 〜 浅草松屋      取材:2006年10月+2007年11月


●昭和4年竣工といっても、躯体以外は改装していて当時の外観は全くわからない『松坂屋』。
しかし裏手にまわると、隅アールが特徴的な建物が残っている。今は、配送関連の倉庫として
使われている様子だ。

●アメ横の入口の三角形の土地に、艦橋のような威容!を誇っていた建物『京成聚楽』がある。
今回じっくり見てみようと思ったが、なんと!取り壊されていた。下の写真は2005年2月
撮影のもので、この時は改装かと思っていたのだが…。3段にセットバックされているコーナ
ー部分が駅前のシンボルタワーのように見えた目立つ建物だっただけに残念。


▲上左/上野松坂屋  1929・昭和4年 設計:鈴木禎次 施工:竹中工務店  撮影/Feb.2005
▲上右/聚楽  昭和初期か 市川育ちの私の家人は子供の頃ここでゴチソウを食べていたそうだ  撮影/Feb.2005

●歓楽街である仲町通を入りしばらく歩くと、右手角にスクラッチタイルをまとった建物『堺
屋酒店』が目に入る。隅アールに沿った2・3階の大きなガラス出窓がオフィスビルにも見え
る。出窓の庇にはアクセントとして瓦が廻されていて、何だかホッとさせてくれる建物だ。

●その先のパークサイドホテルのとなりが『旧小川眼科病院(現:黒澤ビル)』。
ステンドグラス作家・小川三知(1867〜1928・板谷波山は芸大で同期)の弟である剣
三郎が建てた建物が震災で焼失、その後建替えられたものと資料にはある。休日のためシャッ
ターが降りていたが、正面入口の上のアーチ部分などに小川三知のステンドグラスが嵌め込ま
れているそうだ。窓の庇が放物円錐形をしているのが特徴的で、当時の最先端デザインである
ドイツ表現派(日本では分離派)の影響を受けているのがよく判る。重たいまぶたにも見える。


▲上左/堺屋酒店  昭和初期  設計・施工:不明 RC3F  撮影/Nov.2007(上野2-12-11)
    今や街のファサードをつくり出す自販機の壁!には降参だ。
▲上右/旧小川眼科病院(現:黒澤ビル) 1929・昭和4年 RC3F 設計・施工:石原暉一  撮影/Nov.2007(上野2-11-6)
    窓の庇の放物円錐形は、眼科だけに《目蓋》をイメージしているのだと思う! 何だか眠たそう…
    小川三知のステンドグラス作品は、上野の科学博物館(1931)の階段部分で見ることもできる。

●『上野駅』にまわる。明治16年の開業で、この2代目の駅舎は震災後に完成したもの。 
当初は、スロープが美しい正面玄関が昭和通り側にあったが、今は横断陸橋や駐車場が建物を
囲んでいて空間を殺している。2005年春にリニューアルが完成して、内部はキレイになっ
たみたいだが…。 いっそ横断陸橋を撤去して《玄関》機能を蘇らせてはどうだろうか!


▲上左/上野駅 1932・昭和7年 設計:鉄道省・酒見佐市(担当:浅野利吉) 施工:鹿島組  撮影/Feb.2005
    構造上とはいえ、これほど淋しい駅前も珍しいのではないか!
▲上右/上野駅改修部分(レストラン街入口) 看板や植木鉢がせっかくの雰囲気を損ねている  撮影/Feb.2005

●上野駅を出て昭和通りを北上する。入谷交差点を左折、鬼子母神の先にある『旧坂本小学校』
を見る。多くの震災復興小学校がそうであるように、コンクリートで丈夫に作られているのが
よく判る。外観のアクセントである半円柱の付け柱の太さや入口アーチの厚みがそれを物語っ
ている。表現派風の屋上階段室の放物線アーチは、竣工も同年である九段小学校と共通だ。


▲旧坂本小学校 1926・大正15年  設計:東京市・板東義三 施工:長谷川精二郎  撮影/Nov.2007(下谷1-12-8)
 この敷地、2007年12月現在の住宅地図では「東京都教職員組合台東支部」と記されているが、校舎の一部は
 東京芸大が借り受けて使用している。校庭はサッカーやゲートボールにと、地元に開放されている。


▲上左/正面入口の美しくかつ丈夫そうなアーチ  撮影/Nov.2007
▲上右/屋上への階段室  表現派風の放物線が軍用施設みたい  撮影/Nov.2007

●上野駅に戻り左折、浅草通に入る。すぐ右手の1930年竣工・『日本キリスト教団下谷教
会』(設計:古橋柳太郎)を見ようと思ったが、すでに2002年春に建て替えられていた…。
斜め向かいにある、洋館風2階建の『比留間歯科』(1928)の存在感はなかなかだ。外壁
の銅板と窓枠の白色のコントラストが美しい。南面の窓の面積がかなり広いのが印象的だ。洒
落た町役場か郵便局といった感じもする建物だ。


▲比留間歯科 1928・昭和3年  設計:比留間作次郎 施工:大工・早川  撮影/Nov.2007(東上野4-1-5)
 (1997年に)伐採された杉の太い幹が道路にはみだして残っているのも面白い(写真には写っていませんが)

●次に、台東区役所の北隣にある『旧下谷小学校』を見る。先の旧坂本小学校と同様の復興小
学校のひとつだが、蔦に被われてディテールがわからない。せまい正面玄関の柱にかろうじて
モダンなレリーフが残るくらいでこれといった意匠はないみたいだ。いろんな学校に貸し出す
形で利用され続けている。

●浅草通に戻る。 下谷神社への参道?の左に、なかなか凝った外壁をもった住宅を発見!
緑青が噴き出た《看板建築》を多く見かけるこの界隈のなかでも、かなりの出来映えだ。


▲上左/旧下谷小学校 1928・昭和3年  設計:東京市 施工:安藤組 (東上野4-7)
▲上右/雨垂れのような軒飾りがバロックしている。 雨垂れ装飾の左右にはガーゴイルもいるぞ。

●竣工当時(1927)の出入口が現存する地下鉄稲荷町駅を右折、清洲橋通りを南下する。
都営大江戸線新御徒町駅手前にあるのが『都立白鴎高等学校(旧府立第一高等女学校)』。
銀座の歌舞伎座、皇居前の明治生命館で有名な岡田信一郎設計の復興建築だ。上野の黒田記念
(1928)や芸大陳列館(1929)と同時期だが、それらと比べると随分モダンでシン
プルな建物だ。 入口の半円形の屋根が《女学校》をイメージしているのか…とも思える。
階段室の頂頭部の形は、当時の学校建築のスタンダードともいえる放物線アーチになっている。


▲上左/都立白鴎高等学校 1927・昭和2年  設計:岡田信一郎+東京府 施工:不祥 (元浅草1-6)
▲上右/正面入口の半円形の屋根   建物との間のわずかな隙間がデザインのポイントか!?

●白鴎高等学校を出てさらに南下、春日通りを渡って『旧小島小学校』に行く。ここも震災復
興小学校のひとつで2002年に廃校になった後、台東区が「デザイナーズヴィレッジ」とし
てデザイナーに開放している。今年5月現在18組が利用しているそうだ。(浅草橋が近いせ
いかファッション小物関連が多い)
 円柱を模した付け柱が建物を囲み、南コーナーには、屋上に上がるための円塔がモニュメン
タルに周囲を見渡している。空襲の標的になりそうなカタチではないか!当時の校庭は現在公
園になっていて、インド人のグループがクリケットを楽しんでいた。

●再び浅草通りに戻る。かっぱ橋道具街の入口交差点のビルにナイスなバルコニーを見かけた。
色はともかく、説得力のある形である。


▲上左/旧小島小学校 1928・昭和6年  設計:東京市 施工:藤本清次郎 (小島2-9-10)
▲上右/この建物の向かいには巨大な顔の看板があり付近の目印になっている

●コーヒーカップの建物の裏手、東京本願寺の(バラック風の)参道から入った路地の突き当
りに白井晟一設計の『善照寺本堂』がある。今年2006年夏、銀座の親和銀行(竣工:19
63年)がついに取壊されてしまったが、それよりさらに5年前の1958年の作品だ。
 白・グレー・黒しかないストイックな建物で、背のない低い椅子が並べられた内部はプロテ
スタントの教会のようでもある。重い平らな屋根と回廊が建物の平面性を際立たせて、白井の
特徴であるスリットの垂直性を意識的に圧倒している。(正面スリット部分の左右が入口)彼
の造形の垂直性は、親和銀行、さらに16年後のノアビルと次第に立ち上がっていく。

●雷門を過ぎて電気ブランで有名な『神谷バー』へ。1階にはおみやげコーナーまである。
実業家神谷傅兵衛が明治13年にこの地に創業した「みかはや銘酒店」の2代目の建物である。
ちなみに電気ブランとは、ワインの滓から造られたブランデーのことだそうだが、神谷バーの
サイトには「滓」とは書いていない。
牛久に日本初のワイン醸造場を作った傅兵衛については、 http://www.ushiq.net/~kamiya/


▲上左/善照寺本堂 1958・昭和33年  設計:白井晟一 施工:竹中工務店 (西浅草1-4)
▲上右/神谷バー 1921・大正10年  設計・施工:不祥

雷門前にあった円柱が特徴的な「旧不動貯蓄銀行浅草支店」(竣工:1936年)は、真新し
いマンションに化けていた。つい2〜3年前までは存在していたのだろう… 残念でした。設
計の関根要太郎(1889〜1959)は、この銀行のいくつかの支店を手がけていて、京都
支店はリニューアルされ、テナントビルSACRAとして今だ活躍している。東京には多摩市
にある旧多摩聖蹟記念館(1930)が残っている。

●東武浅草駅のテナントである『松屋浅草店』は、屋上や階段部にしか竣工当時の雰囲気が残
っていない。敷地は旧有楽町そごうと同じような三角形で、やはり同じような外壁の改装のた
め竣工時の雰囲気は全く残っていない。川向こうから撮影された竣工時の写真は巨大な空母に
見える。11月1日から開業75年を記念した写真展が開催される。東武伊勢崎線の90度に
曲がる鉄橋の桁はなかなかの造形美だ。


▲上左/東武伊勢崎線・鉄橋  電車は時速15kmで川を渡る。昭和6年の開業時には「浅草雷門駅」といった。
▲上右/浅草松屋 1931・昭和6年  設計:久野節 施工:清水組
    階段手摺のすべり防止金具が興味深い

(記してないものはすべて2006年10月22日の撮影です)


▲ T O P ▲