Bernie and Art Production, since1969
Takanano Factory Jun Takana
Tsukushino, Machida, Tokyo





08/04 2026 更新 >> past articles 以前の記事


小関和夫 著
『カタログで知る 国産三輪
自動車の記録』
を味わう



三樹書房・2002年刊

著者は、自動車専門誌編集者を経て
、技術史などを得意分野として執筆。
車の部品用品を設計する OZハウス
代表でもある(b.1947)

オート三輪と呼ばれ、戦前から
戦後にかけて隆盛を誇った国産
三輪自動車は、少ない資材、限
られた工作機械により苦労のな
かから生み出されたともいえる。
その存在意義について語るなら
ば、四輪自動車よりもはるかに
安価であり、荷台などの大きさ
の割には小回りがきき、維持費
も当初は二輪車との差がないな
ど、数多くの利点を持っていた。

わが国独特の道路事情であった
舗装のないせまい道路でも、意
のままに、自由に走れたため、
自動車業界で最高の保有台数を
占めたこともあった。

農作業から個人商店まで多く愛
用され、その後の物流時代を築
くまで、国産三輪自動車の隆盛
ぶりは世界的にもめずらしく、
技術レベルも最高のものに発展
をみせたのであった。
(本書「はじめに」より)

●●●
18世紀に登場したキュニヨーの
蒸気機関による三輪自動車から
、1960年代はじめの日本におけ
る軽三輪の終焉までを19頁にわ
たって詳しく解説した本書冒頭
の「三輪の歴史」は圧巻 ★★



1936年 国産三輪の輸出例、
スペイン戦線で活躍したマツダKC


第二次世界大戦の直前の1936年度の
ベストセラーは ダイハツであり、マ
ツダが2位、3位ニューエラと順位
はほぼ不動であった。



1939年 ダイハツ製代用燃料車、
薪など使用のガス発生装置搭載


戦中は、各社が軍需工場に変えられ
ていったが、三輪は ダイハツ、マツ
ダ、くろがね(ニューエラが1937年
に改名)のみが自動車生産を許可さ
れた。


●●●
戦後まもなくの1945年9月、G
HQは日本国内の混乱と貨物運
搬事情が極端に悪いことを察し
、トラックの生産を 月産1500
台に限りいちはやく許可した。

戦後の小型トラックの生産量を
比較してみると、少なくとも19
57年までは四輪よりも三輪が圧
倒的に生産台数が上回っていた。

本書は、
マツダ、ダイハツ、みずしま(
三菱)、オリエント、ヂャイア
ント、ホープスター、くろがね
などの各メーカーの三輪自動車
を、カタログで紹介している★

昭和26(1951)年 広島生まれ
の私にとって、マツダ車が走る
50〜60年代の街が 懐かしい ★

(1)マツダ



マツダ CT/1200

1950年9月に登場した マツダCTは、
OHVのV型2気筒1157cc、32psエ
ンジンやセルフスターターなどを初
採用。車体は三角吊橋梁と呼ばれ、
はしご型フレームにトラス状ステア
リングヘッド部をボルト締めした応
用分散型(これは 記憶にない…)



マツダ HBR/2000

はしご型フレームにトラス状ステア
2トン積重量物輸送車として愛され
た後期型HBR82低床車。 1400cc、
42ps、最高速77km/hの3人乗り



マツダ K360

軽三輪KTBA43、K360は1959年5月
に発売。ピンク系2トーンカラーの
初期型は、バンパーがないのと塗装
ライトリムが特徴


(2)ダイハツ





ダイハツミゼット

1958年から投入された幌付き仕様に
よって同年まで1万台の生産台数が
、1960年10万台、1962年20万台と上
昇。バンモデルDSVも追加。カタロ
グ中の「スクーターやオートバイに
荷物を積んだようなあぶな気がなく
…」で需要も増大(大村崑のCMは
よく真似をして遊んだものだ)



ダイハツ PM型

1957年後期に 1.5トン積は丸ハンドル
、半ドア RKMが登場、1959年よりこ
の全ドア PM型に。 エンジンは 1135
cc、35ps(イラストも洒落ている)

(明日へつづく)



【 08/02. 2026 】

岩永辰尾 著
『東京タワーが建ったころ』
を眺める。 昭和26(1951)
年生まれ(広島ですが)の私
にとって、どんぴしゃで懐か
しの 50年代の風景が巡る…


第三書館 2005年刊
著者は、元全日本写真連盟関東本部
委員長 b.1928

●●●
東京タワーが建ったころ、銀
座の大通りに靴磨きが並んで
座り、勝鬨橋はふたつに割れ
て舟を通し、佃島の渡しがの
どかな世話話を乗せて運び、
ぬかるみ道でおんぼろバスが
大きく揺れた。

きつねうどん 20円。
ごはんとおかずで 35円。
のちにディズニーランドが賑
わうあたり、浦安名物ハマグ
リの殻剥き女達の声がひびき
、べか舟のひしめく水面がき
らきら光って……
(本書見返しより)




東京タワー、芝公園から見た風景
(1958年4月20日)
砂利販売の看板をつけたトラックが
忙しそうに走りすぎる。 芝公園は
今後数年もすれば、東京タワーを中
心にした都の名所になると思う。




青山表参道の同潤会アパート




銀座8丁目




有楽町の靴磨き
(1954年07月30日)
暇な日、雑誌を読み耽る。
次の客がくるまで読み終わるか。




モク拾い(1955年)
ぽい捨てのタバコの吸殻を拾い集
め、再生して闇市で売る。タバコ
が自由に手に入らなかった頃。




中川の水害
(1958年7月23日)




私鉄ストの日
(1957年6月16日)
春のベースアップが季語のように
なり、私鉄がその年の相場作りに
関与していた頃。線路は子供達の
スリリングな遊び場となった。
(キャプションすべて本書まま)

t o d a y s h a i k u
ただ二日我慢してゐし
この酒のこのうまさはと
胸暗うなる(牧水)



【 07/31. 2026 】

いまどきの肖像画、
こうゆ〜の 嫌いではない…

●●●
(前回ご紹介の)
五木田智央『Lush Life』
Taka Ishii Gallery 六本木+京橋

(ともに 7/25で会期終了)






●●●
吉村宗浩『町はずれの幻術』
@KAYOKOYUKI(〜 8/29)






作者は「町はずれ」という言葉に、文
明の果てや終わりの気配のようなもの
を重ねていると語っています。
(ギャラリーのサイトより)


●●●
白旗花呼『私 呼吸し さめざめ
ないてみる』

@YKG 京橋
(7/25で会期終了)





既存のイメージの内部に自身が潜り込
み、あるいは自己に既存の女性像を重
ねて描くという彼女の実践は、「彼女
達」が浴び続ける欲望の眼差しを自身
に一部引き受けるという態度から始ま
った方法論です。
(ギャラリーのサイトより)
上写真すべて会場で撮影 ’26/07/17

t o d a y s h a i k u
酒ほしさまぎらはすとて庭に
出でつ庭草をぬくこの庭草を
(牧水)



【 07/30. 2026 】

五木田智央『Lush Life』 ★★
Taka Ishii Gallery 六本木+京橋

(ともに07/25で会期終了)

●●●
五木田はこれまで白黒作品で
は主に木炭やアクリルガッシ
ュ、カラー作品ではパステル
やアクリル絵の具を用いて制
作してたが、本展では昨年か
ら再び取り組み始めた油彩作
品を初公開











展覧会タイトルの "Lush Life"
は「飲んだくれ人生」や「酒
浸りの日々」などのニュアン
スを持つジャズのスラング
(ギャラリーのサイトより)





抽象も佳い
上写真すべて会場で撮影 ’26/07/17


◎きょうのおまけ:

 
 
Lush Life:John Coltrane, 1961

t o d a y s h a i k u
寂しみて生けるいのちの
ただひとつの 道づれとこそ
酒をおもふに(牧水)



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