来年2月に転居するので、今、私の頭の中はそのことで忙しい。新しい家にどう やって住もうか・・・と考えはじめるときりがなくて、とても楽しいような、と ても疲れるような、なんとも言えない気分になる。要するに興奮するのだな。
転居自体は以前に2回経験しているのだが、そのときはまだ独身だったので、た いした持ち物もなく、友達にちょっと手伝ってもらえば済むといった程度ものだ った。
でも、今回は違う。家族が5人ともなると、衣類だけでもばかにならない量。少 なく見積もっても、押し入れに3間分くらいはあるだろうか。帽子や靴だって結 構ある。おもちゃ、ビデオ、本、写真、趣味のコレクション・・・そういったこ まごまとしたものも多くて、整理しているうちに、(生きるということは持ち物 が増えるということだろうか)などと思ってしまう。
家具のような大きなものには、ピアノとデスクと洗濯機と冷蔵庫があるのだが、 ほかに、「もう捨てるか、まだ使うか迷っているので、持っていってから考えよ う」というものもある。チェストと箪笥とダイニングテーブルと食器棚とストッ カーがそれ。全部、親からの貰い物ということもあって、捨てにくい。捨てたい んだけど。
処分が決まっているのは、本棚と布団とベビーベッド。本棚は、もっと大きいも のへ。布団の方は、今度の家に和室がないので、クローゼットにしまえる4つ折 りのマットレスか、ベッドに。ベビーベッドは、特に引き取り手もないので、お そらく粗大ゴミに。
インテリア雑誌をめくるたびに、(あ、これいい)というものが目についてうず うずするのだけど、今、これ以上荷物が増えても仕方ないし、新しいものは新居 で使い始めたいので、ジレンマに陥る。
はー、こうして書くだけでも頭が疲れてくるなあ。気分転換に、パンでも焼こ。
「だれでもキリストのうちにあるなら その人は新しく造られたものです。 古いものは過ぎ去り、見よ、 すべてが新しくなりました。」 人よ。 あなたは何者ですか。 神が造ったものに、 失敗作があるとでも思うのですか。 あなたはすでに、 キリストにある新しい人なのです。 あなたに必要なのは、 そのことを心から信じる信仰です。 あなたの罪は、 キリストが開かれた墓の中に落ち、 もう見えなくなりました。 あなたは罪と切り離されたので、 もう自分自身を憎む必要がないのです。 本当に、「新しく」なったのです。 それでも、まだ あなたは自分のことを否定するのですか。 神が造られたものに、 失敗作があるとでも言うのでしょうか。 あなたに必要なのは、信仰です。 あなたが新しくなったということを信じる 信仰だけなのです。
夕べ、あるインテリア雑誌で、ソファのモニターを募集しているのを知ったので 、それに応募することにした。でも、最近、あまりに新居のことばかり考えてい るので、ふと
(これでいいのかなあ?)
という自己吟味の思いが湧いてきて、寝る前に祈ったのだった。
「神様、私は喜びすぎてはいないでしょうか? 楽しみすぎてはいないでしょうか? あなたはすでにご存じですが、 今、私の頭の中は、 新居のインテリアのことでいっぱいになっています。 このことで、 もしも私があなたとの時間を失い、 あなたを傷つけ悲しませているのなら、 お赦し下さい。 でも、自分では止められないので、 どうか、あなたがコントロールして下さいますように。
私は、決して、 身の程知らずのぜいたくな暮らしをしたいのじゃなくて、 ストレスのない、快適な暮らしをしたいだけなんです。 それで、いろいろアイデアを思いついてしまうんです。 でも、そのこともあなたはすでにご存じです。 あのモニターに応募しますが、 私に必要なものは与え、 いらないものは取り去って下さい。 あなたが、私に、 いつでも本当によくして下さる神様であることを 知っていますから感謝します。 あなたのお名前を心からほめたたえます。」
すると今朝、メーリングリストを通して、このみことばが与えられた。
「だからあなたがたに言うのです。 祈って求めるものは何でも、 すでに受けたと信じなさい。 そうすれば、そのとおりになります。 マルコ11:24」
これを読んで、
(おおっ、すごいなあ) (別に、求めてもよかったんだ)
と思うと同時に、ふと、お祈り一つで孤児院を運営し続けたジョージ・ミュラー のことを連想した。そして、
(私も、将来の働きのために、 「信じる」ことを訓練されているような気がするなぁ)
と思ったのだった。
前後のいきさつは忘れたが、夕べお祈りしているときに、ついうっかりして
「木曜日まで1週間、インターネットをしません」
と口走ってしまった。
「しません」と宣言したものの、パソコンはいままでどおりダイニングに置いてあるし、電源も、メールを読むためにずっと入れたままにしてあるので、ちょっとした休憩をとるために椅子にこしかけたときなど、無意識のうちにインターネット用のソフトも立ち上げてしまいそうになる。
なんだかそわそわして落ち着かない。習慣ってこわい。愛煙家が禁煙するときも、きっとこういう感じなんだろうなあ。
「しかし、もしあなたが正しい人に罪を犯さないように警告を与えて、彼が罪を 犯さないようになれば、彼は警告を受けたのであるから、彼は生きながらえ、あ なたも自分のいのちを救うことになる。」
エゼキエル 3:21
「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受 ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」
伝道者 5:19
「戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起 こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国 に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。こ れらのことは、産みの苦しみのはじめです。」
マルコ 13:7
以上、4日分です。
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