東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery II 旅の記憶 飛騨の旅 2020

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 2020年11月13日~15日に、地元の自治会の関係者(飲み仲間?)5名で以前から予定していたのだが、久しぶりに飛騨方面に旅をする機会があった。自分にとってはコロナ禍で昨年の12月に鬼怒川温泉に行って以来約1年ぶりの旅行であった。
 一緒に行った自治会の人の知り合いで飛騨高山の山里に古民家を移築し、人生の旅立ちを応援する場を提供する里を作り 若者を応援している方の施設に厄介になるという、二泊三日の旅だったが ちょうど紅葉の時期で飛騨の旅を満喫することが出来た。
 それにしても 日本地図で見ると東京から距離的にはあまり遠くなく、自分の田舎の北海道の東の果てに行くのに比べ楽なように思うのだが、5時間ほど座りっぱなしで、伊勢神宮に長距離ドライブした時と同じような腰の痛みが出て、帰ってから寝たきり老人状態になってしまった。 ただ このあまりアクセスが良くないのが幸いし、飛騨の地域には豊かな自然と昔からの伝統(建造物、工芸技術、芸能)が残っているのかもしれない。
 古民家に泊まって、施設を運営している方に いろいろな自然と触れ合って感じたことを聞くことが出来たり、ご馳走になった食材が自分たちで栽培した作物なので(お米も作っている)、普段 我々がスーパーで買ってきた食材とは違う美味しさを実感できた。
 科学者の中には否定している人もいるようだが、我々は気候変動による影響かもしれないと思うのは災害が起こった時等に初めて気づかされるが、自然と日々触れ合っている方々は作物の出来や、野生動物の行動など微妙な変化を感じ、地球の生態系が破壊されていることを心配しているようでもある。このコロナ危機も 人間の限りない強欲さによる生態系の破壊による結果なのかもしれない。キリスト誕生前の世紀をBCbefore Christ)というが、よく言われるように いずれ2019年までをBCbefore Corona)と言い 2020年以降はACafter Corona)と呼ぶようになるかもしれない歴史的なターニングポイントに 我々は今立っているのかもしれない。

飛騨高山ご当地キャラ さるぽぽの「ひだっち」

東京駅7時20分発 北陸新幹線で富山に向かい、富山から特急で飛騨高山に11時23分着。
久々の長時間 座席に拘束され腰が痛くなったが、昼食後 飛騨の里へ行くバスの時間に少し余裕があったので、一人で 10年ほど前に妻と観光したことのある二之町、三之町方面に向かう。
飛騨国分寺

以前 生まれて初めて人力車なるものに乗って観光した際 訪れた造り酒屋や味噌屋さん等に行ってみようと思ったが、時間がないので諦め、国分寺の大銀杏を見に行く。
飛騨国分寺の大銀杏

樹齢千二百年、高さ28メートルのなかなかの大銀杏だが、まだ紅葉(黄葉)していなかった。
飛騨国分寺の三重塔

飛騨の里へは「さるぽぽバス」の一日乗車券で向かうことになった。
飛騨の里(飛騨民俗村)

以前 妻と飛騨高山に来た時は 割と近くのホテルに泊まっていのたが、ここには訪れたことがなかった。
飛騨の里

妻にこの写真を見せたら、以前行ったことがあると言って、OLの時代に訪れた時の写真を見せてくれた。以前二人で高山に来た時には ここが近くにあるとは気が付かなかったようだ。
飛騨の里

五阿弥池がある分 白川郷より写真映えするかもしれない。
旧 八月一日(ほづみ)家住宅

八月一日を「ほづみ」と読むのは旧八月一日は現在の九月十日にあたり、雑穀の収穫時期であることから「ほづみ」と読むそうだ。
五阿弥池の向こうに北アルプス
傘ヶ岳の向こうに槍ヶ岳?

山の向こうは穂高や上高地で 若かりし頃を思い出す。
合掌造りと紅葉と北アルプス

飛騨の里を後に、さるぽぽバスで飛騨高山まつりの森に向かう。
まつりの森

高山祭りは日本三大祭に数えられるが、その豪華なまつり屋台を再現したミュージアムである。色々な地域の神輿や山車も展示しているが、この施設は この地域の個人の方が集めて展示、公開しているそうだ。
世界一の大太鼓

からくり人形が太鼓をたたく。この他色々な屋台のからくり人形のパフォーマンスを見せてくれる。
宿泊予定の宿舎に行く前、部屋で飲むために高山の地酒 元祖「鬼殺し」を買う。 待ち合わせの飛騨国府駅で迎えを待つ。
宿泊した古民家

ナラ林の中の およそ18,000坪の敷地に、宿泊施設や露天風呂や炭焼き小屋、バーベキューサイト、木工作業所、農場等が点在している。自分は見ることが出来なかったが、最近は良く日本カモシカも訪れるようだ。美味しい地元の食材と、酒を堪能し遅くまで歓談する。
翌日 施設を運営している方が、車で白川郷方面まで案内してくれることになった。
荘川ザクラ

昔 照蓮寺と光輪寺にあった樹齢500年ほどの桜で、御母衣ダムの建設で湖底に沈む運命にあったが、電源開発総裁 高崎達之助氏の計らいにより移植されたという。春には見事な桜が咲きほころぶという。田舎にいた頃 何か良く聞いたことのある名前だと思ったら、高崎氏は北方領土問題の解決に尽力した方だった。
御母衣ダム湖

白川郷に行く途中 御母衣ダムでせき止められたダム湖を眺めながらのドライブだったが、とても穏やかな湖で両岸には紅葉が美しく、ヨットかボートでも浮かべたくなるようなダム湖である。
白川郷見晴台より合掌造り集落を望む

さすがにコロナ禍のせいか、あまり観光客が見当たらない。
白川郷

白川郷の集落に入ると、そこそこ観光客がいる。今日は土曜日週末であった。
白川郷の紅葉と柿の木と青い空
白川郷 撮影スポット

以前来た時もあったな。
白川郷の紅葉
合掌造りと紅葉

近くの蕎麦屋さんで昼食後 五箇山へ向かう。
五箇山

白川郷と同じく世界遺産に登録された合掌造り集落であるが、中には入らず駐車場から望む。日本有数の豪雪地帯の庄川沿いの谷間に、いくつもの集落が点在している。
宿泊地に帰宅後、近くにある温泉施設で疲れを取り、夜更けまで飲んで歓談。
宇津江四十八滝散策

3日目 朝食後 飛騨古川に行く前に宇津江四十八滝を訪れる。
落ち葉のアート

途中地元のカメラマンが何か撮っているので、のぞくと落ち葉が小川の流れで面白い造形を造っているのを撮っているようだったので 自分も一枚。
宇津江四十八県立自然公園の紅葉
王滝

ちょっとした朝食後の散歩と思っていたが、どうして結構大変な道のりであった。
紅葉と大滝
銚子口滝

滝にはいろいろ名前が付いているようだ。この滝は銚子で盃に酒を注いでいるように見えるから名付けたとある。
障泥(あおり)滝

馬具の泥除けに似ているので名付けられたという。
古川駅に向かう時間が迫って来たので、途中で断念して戻る。
飛騨古川の街並み

飛騨古川も高山と同じような城下町として栄えたレトロな街並みがある。
古川にも高山祭りに負けない 勇壮な飛騨古川祭りもある。

本光寺

飛騨地域で一番大きな木造建築で、境内には野麦峠文学碑がある。
親鸞像と銀杏

この寺は浄土真宗の寺のようである。
野麦峠文学碑

この後ろの荒城川の向こうにある宿は、「あゝ野麦峠」で描写されているが、娘たちが集められ、製糸工場の女工さんとして年季奉公に駆り出された所である。
飛騨古川

連続テレビ番組で舞台となった蝋燭屋さん等 面白い店が多い。岐阜地方にはその他 和傘等日本古来からの伝統的な工芸技術を伝えている店が多々ある。
瀬戸川のコイ

瀬戸川沿いには白壁土蔵が立ち並ぶ。
飛騨古川のレトロな古民家茶屋と赤いポスト

帰路に就く前に最後だから少し豪勢な昼食を取ろうと言う話になり、割烹に入ろうとしたら地元の人以外はお断りという事であった。結局ラーメンの昼食になったが、確かに店で県外者を入れたためコロナが発生したら地元で店を存続できなくなるのだろう。聞いた話では富山でコロナにかかった家の人が、風評被害を苦に自殺したという。感染者の多い所から来た 我々は招かれざる客と言うのを実感した。我が故郷に帰省できるのも まだまだ先になりそうだ。
しかし GoToトラベルのせいか、行きも帰りも北陸新幹線は満席であった。コロナ分科会が感染拡大地域の往来自粛の緊急提言を出したのだがちょっと遅かったか。

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