東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery II 旅の記憶 熊野古道・熊野三山

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2019年10月 妻に誘われて熊野古道を歩き熊野三山をめぐるツアーに参加することになった。以前 山形の出羽三山に行ったので 熊野三山にも行きたくなったのか、それとも御朱印集めが目的だったのかもしれない。旅行日が近づき熊野古道を歩くのは結構大変だよ等と脅かしていたのだが、言っている当の本人が 利尻富士で痛めた足の指の治療が終わったので、しばらく行っていなかったジムに続けて3度ほど行ったら腰の具合がおかしくなり、旅行1週間前なのに歩行困難になってしまった。最近よく聞く脊柱管狭窄症になったのかと思い、ブロック注射でも打ってもらわなければ旅行に行けないと思い病院の門を叩いたが、筋トレのやり過ぎによる筋肉の炎症だという診察結果で 湿布薬を貼って出掛けることになった。後で良く考えてみると台風19号が東京を直撃するというので、台風前日台風対策で重い物を持ったりしてギックリ腰になっていたのかもしれない。幸いバスでは一度に長時間移動することもなく、熊野古道では豪雨でルートを1/3に減らした所もあり 何とか旅行を終えることが出来た。それにしても あの豪雨の中でも旅行日程通り観光するのには驚いた。雨と腰痛にたたられた旅行で あまり写真は撮れなかったが、豪雨の中での観光という貴重な体験だったので、旅の記憶として残すことにした。
仁徳天皇陵古墳

大阪駅に到着後 バスで堺市役所展望ロビーに寄り、世界文化遺産になった仁徳天皇陵古墳など百舌鳥(もず)古墳群を展望する(画面緑色の部分)。百舌鳥古墳群には現在 44基の古墳が残っているという。
展望ロビーより大阪市方面を望む

遠くに微かに見えるノッポのビルは、現在日本一高いビル「あべのハルカス」。東京都内と変わらないビルの乱立である。
千利休屋敷跡

堺市役所の近くにある「さかい利晶の杜」に寄る。
堺は安土桃山時代の国際商業都市として有名だが、千利休が茶の湯文化を大成した所でもある。また与謝野晶子が生まれた所でもあると言う。
さかい利晶の杜

茶の湯を体験させて頂きました。今日のお点前は武者小路千家流、妻は表千家だそうだ。
この後 湯浅に向かう。
湯浅(日本遺産・醤油醸造発祥の地)

妻がこのツアーを選んだのは、旅のルートに「湯浅」があったためだそうだ。毎週日曜日にBSで放送される「小さなイタリアの村」のコマーシャルに「湯浅」の街並みが出てくるので行ってみたいと思っていたようだ。自分は高野山に寄ってくれた方が良かったと思ったのだが。
湯浅の街並み

古びた醤油醸造家と古びた自転車。
湯浅 手作り行灯・麹資料館

「湯浅」は熊野古道紀伊路に沿った重要伝統的建物保存地区である。
「湯浅」の街並みを散策し 金山寺味噌等のお土産を買った後、今日の宿泊地紀伊南部へ向かう。
和歌山県みなべ町にあるホテルの窓より紀伊田辺方面を望む
闘鶏神社の苔むした燈籠

闘鶏神社は熊野古道・大辺路の入り口にある弁慶生誕伝承の地である。
ただ弁慶生誕伝承の地は定説が無く、他にもかなりあるようである。
弁慶と湛増(弁慶の親)の像

闘鶏神社は創建千六百年を迎える世界遺産の神社。
宮司さんが小さな神社だが世界遺産に登録されたこと、弁慶親子が源平どちらにつくかを紅白7羽の鶏を闘わせて源氏方につくことを決め、壇ノ浦の合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説等について語ってくれました。
闘鶏神社拝殿

闘鶏神社は2016に年世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されたと言う。
闘鶏伝説で壇ノ浦の戦いに勝ったことから、勝運の向上のご利益がある思われているそうだ。そう言えば参道横に「競馬記念碑」があった。
熊野古道館にて

当時はこんな格好で熊野詣でをしていたというが、女性がかぶっている帽子は雨の時 両手が使えるので なかなか良いと思った。実際自分はカメラを持っているので、登山ストックを持っていると両手がふさがり傘がさせないので ひどい目に遭うことになった。
滝尻王子より熊野古道中辺路を進む

雨がひどくなったが、傘を持っていないのでシャワーキャップをカメラにかぶせレインウエアで保護したが、雨で下着までびしょびしょになる。語り部さんが同行したが殆ど聞く余裕が無かった。
熊野古道中辺路 みはらし台

三軒茶屋跡辺りから雨に煙る大斎原(旧社地)の大鳥居を望む。この大鳥居は日本一の大きさを誇るというが、ここからではそれ程大きい様には見えなかった。
熊野古道中辺路

熊野古道の途中には王子と名の付く場所が何ヶ所もあるが、当時は現在の高速道路沿いなどにある「道の駅」の様なものであったそうだ。道路が世界遺産に登録されたのは世界でもスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に次ぐ2番目の事例だそうだ。
熊野本宮大社大鳥居

ようやく熊野本宮大社入り口。
  緑色の八咫烏(やたがらす)の乗った八咫烏ポスト

八咫烏は日本神話に登場する三本足のカラスで、古事記によれば神武天皇の東征の際 熊野国から大和国への道案内をしたという大きな鳥のことを言う。
熊野本宮大社拝殿

雨がひどいが早速 御朱印帳を預け参拝。
熊野本宮大社本殿

本殿内には4つの拝殿があり、参拝の順序が決まっている。最初に参拝する真ん中の拝殿はスサノオの命。
旧社地 大斎原(おおゆのはら)に向かう
大斎原の大鳥居

ここまで来ると確かに日本一大きい鳥居であるのが理解できる。
大斎原の大鳥居

下から見ると更に巨大な鳥居であるのが分かる。
旧熊野本宮の二基の石祠

かってここに熊野本宮大社があったが、明治22年大水害により本宮大社の社殿が流されてしまった。水害を免れた四社を現在の本宮大社に遷座したが、流失した中四社・下四社を祀る石造りの小祠がここに建てられている。最近台風15号や19号で関東の風水害のニュースをよく聞くが、紀伊地方も雨の多い所で過去に何度も水害があった話をガイドさんが話してくれた。
熊野川 瀞峡(どろきょう)めぐりの里 

天気が良ければ遊覧船が運行されるが、今日は天候が悪く運休していた。
捕陀洛山寺(ふだらくさんじ)

2004年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。 一人で寺を切り盛りしている住職の方の面白い(商売気もある)話を聞き、秘仏の千手観音立像を特別開帳してもらう(写真撮影は不可)。話が長くなりそうだったが、雨がさらに激しくなり次のスポットに行けるか心配になったのか添乗員さんが話を短くしてもらう(住職さんは残念そうだったが)。
橋杭岩(はしくいいわ)

和歌山県串本町にある奇岩群。ひどい雨だったが、ちょっと小降りになった時に何とか写す。朝焼けがとても美しいと評判の場所である。
橋杭岩

大小40程の岩が橋の杭の様に連なっており、この名が付けられたという。干潮時には岩まで歩いて行けるという。
大門坂

大門坂は熊野那智大社、那智の滝へ行く石畳の道程である。今日は語り部さんが同行して いざ出発。
大門坂

初めは民家の側を通るが、この辺りからは杉木立の中を進むことになる。
レインウエアを着ていたが、ウエアの上のボタンを2つほど外しカメラを首からかけて中に入れていたが、傘をさしていないので、下着までびしょぬれになる。
大門坂

雨で石段が濡れており 帰り下りてくるのは危険だということで、多富気王子の先の1/3程度まで来た所で引き返すことになり、熊野那智大社へはバスで行くことになった。妻は昨年九州旅行で腕を骨折したので、カメラと妻の歩行を注意しながら登ってきたが、この決断は良かったかもしれない。
大門坂

大門坂のこの先をあと少し進むと熊野那智大社に着くのだが。
那智の滝

落差133メートル、一段の滝としては落差日本一である。雨量が多いためか、乾季の時期に見た世界一の落差を誇るエンジェルフォールよりも迫力があるように感じた。
那智の滝

日光の華厳の滝、奥久慈の袋田の滝とともに日本三名瀑と言われている。那智山には48の滝があり、その一の滝である。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部にもなっている。
那智の滝

滞在時間は20分程で、ツアー客皆での記念写真撮影などもあり、滝をよく観察することが出来ず、滝にまつわる諸説を検証する時間もなかった。
熊野那智大社

参道入口より470段程の石段の参道を上りきると、那智大社の本殿にたどり着く。
熊野那智大社

ようやく那智大社の最後の大鳥居が見えてきた。
熊野那智大社拝殿

那智大社は全国の熊野神社の本社であり、熊野三山の一社である。
那智山青岸渡寺(せいがんとじ)

那智大社の横にある天台宗の寺院で、明治時代の神仏分離令から如意輪観音堂が廃却を免れ信者の手で青岸渡寺として復興したという。ここでも御朱印を貰ったようだ。
雨にけぶる那智の滝と那智山青岸渡寺の三重塔
雨に煙る那智の山々

小雨になり那智の山々に面白い雲霧の模様が見えた。
那智山青岸渡寺の三重塔

バスの駐車場に行く道を間違え、三重塔辺りまで来て慌てて戻る。
何とか出発時間に間に合い、熊野速玉大社に向かう。
熊野速玉大社神門

熊野三山巡りの最後の大社で、ここの参道は今までの2大社に比べるとかなり短く拍子抜けする。早速御朱印をお願いする。
熊野速玉大社速玉宮

主神はイザナノミコトとイザナノミコト。
ガイドさんが良く「古事記」や「日本書紀」の話をするので、帰ってから部屋の中を捜し「古事記」と「日本書紀」の文庫本を捜しあて、「ミ」と「ギ」の違いで夫婦の神であることを確認。
熊野速玉大社拝殿
鬼ヶ城(おにがじょう)

三重県熊野市にある景勝地鬼ヶ城に行く。
滝のような雨で鬼ヶ城の観光センターで雨が小降りになるのを待って熊野灘を眺めていると飛蚊症かと思ったら蜘蛛だったのでパチリ。
鬼ヶ城

雨が小降りになったのを見計らい 鬼ヶ城の先に行ってみる。手前に見えるように途中の崖から大雨のせいで小さな滝が出来て 通り道が浸水して 皆行くのを躊躇していたが、どうせ靴も水でびしょぬれだったので走って渡ったら、後から数人真似をして付いて来た。
鬼ヶ城

熊野灘の荒波で浸食を受けた岩だそうだ。戦国時代有馬氏がこの山頂に隠居城を築いたと言う。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部でもあり、「獅子巌」と呼ばれ国の名勝にもなっている。
鬼ヶ城

先端の岩のトンネルから来た方向を見ると水に濡れるのが嫌なのか ここまではあまり人が来ないようだ。
七里御浜

熊野灘に面した砂浜だが、鬼ヶ城とは打って変わってなだらかな砂浜だ。語り部の人と一緒に花の窟神社にお供えする白い石を捜す。
花窟(はなのいわや)神社の巨岩

日本書紀にも記されている日本最古の神社とも言われている(実際は墓所であったと言う説もある)。主神は母イザナミノミコトと子のカグツチノミコトで意味深い取り合わせである。
花の窟神社の鳥居

参道を進むが、社殿は無く目の前に立ちはだかる岩壁が拝殿となっている。
花の窟神社

拝殿前に七里御浜で探した白石を親子3人分並べる。我が家にはワン公もいるので上に小っちゃな石を添え参拝する。
花の窟神社

例大祭では御縄掛け神事が行われ、神体の巨岩から七里御浜の海岸まで170メートルほどの縄の大綱が引かれると言う。10月2日が例大祭で、その名残の縄綱が見える。
帰りのバスの窓より見た無名の滝

那智山には48の滝があるというが、熊野エリアには名も付けられていない無数の滝があると言う。
帰る頃には晴天となり、旅行中 曇り、大雨、晴天と3回分楽しめたと強がりを言いたくなるような旅でした。

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