東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery II 旅の記憶 九州周遊写真紀行 II

戻る

我が家の歴女が昨年九州に行った時、雲仙でのキリシタン殉教の話や日本二十六聖人殉教の地を訪れてその歴史に興味を持ち「バテレンの世紀」と言う本を読んで また九州に行きたいと言っていたら、2018年5月長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録された。自分はあまり興味が無かったが、九州では鹿児島に行ったことがないので鹿児島も含まれるツアーなら、お供をしても良いと言うことで2018年11月天草島原、長島の崎津教会、鹿児島の霧島を訪れるツアーに行くことになった。、 

長崎空港からバスで最初に訪れたのは昨年の九州旅行で訪れたことのある愛野展望台にあるカステラランド(泉屋)。娘がここのカステラをとても気に入っていたので、妻は展望台からの橘湾を望む観光もそこそこにカステラの爆買をしたようだ、嫌な予感。
島原半島雲仙にある有馬キリシタン遺産記念館に向かう途中見かけた奇岩。
有馬キリシタン遺跡記念館ロビー

ここは天草四郎が立てこもった原城に近く、「島原・天草一揆」の歴史を展示している。発掘された十字架、メダイ、ロザリオの珠等の出土品が展示されていた。
この後、近くにある原城跡に向かう。
原城跡から望む雲仙普賢岳と島原湾

原城は備前有馬氏の本城であった日野江城の支城として有馬晴信が築いた城郭である。左手前方には有馬氏の築城した日野江城跡がある。
天草四郎の墓碑

花や酒(天草四郎は未成年だが)が献上されていた。
1637年松倉氏の治世下で過酷な年貢の取り立てやキリシタンへの弾圧に耐えかねて、天草四郎時貞を総大将に廃城となっていた原城に2万数千人が籠城したのが島原・天草一揆(島原の乱)である。しかし1638年2月兵糧攻めの末幕府方約12万の総攻撃を受け一揆は終結した。
長崎県知事による島原の乱に関する記念碑

「苛政に始まり迫害に終わる」といわしめた島原の乱の信徒、幕府軍両軍の戦死者を弔う碑。
原城跡より島原湾の向こうに口之津、天草方面を望む
原城本丸大手門跡

地元のボランティアのガイドさが一緒に回り、説明を受ける。現在も発掘が行われているそうだ。
櫓台跡より普賢岳と原城空堀跡の田畑を望む。
口之津港よりフェリーで天草諸島の鬼池港に向かい、今日の宿泊先である天草松島温泉に向かう。
翌朝 熊本県天草の崎津集落を訪れる。 人口600人弱で、漁業を主とする集落で潜伏キリシタンの里として知られる。
家の前にあるベランダのようなものはカケと言って、釣りや釣り網を干したりする漁師の作業場だそうだ。
しかし、最近はカケを参考にした釣りや浜遊び用のベランダを売りにした宿泊設備が増えているようだ。
崎津集落のネコちゃん

ネコを良く見かける街である。
民家の先に教会
崎津諏訪神社

この階段の上には1805(文化2)年に、潜伏キリシタンが発覚する「天草崩れ」(異仏取り調べ)の舞台になった神社がある。
マリア像が立つ旧崎津教会跡

現在は教会のシスターの修道院となっている。
崎津教会

長崎の建築家鉄川与助によって建てられたゴシック様式の教会。
内部は教会では珍しい畳敷き。祭壇のある場所は禁教期に踏み絵(絵踏み)が行われていた場所である。
教会の後ろ側は木造である。
鉄川与助は長崎の大工の棟梁で、長崎県を中心に多くの教会の建築を手がけている。
軒下に吊るされたカラフルな貝

ヒオウギ貝の飾りでストラップやキーホルダー等が売られていた。
お土産屋さんで崎津名物「杉ようかん」を食すが、羊羹と言っても あんこの入ったお団子のようなものだった。
しめ飾り

当時はキリシタンであることを隠すため、あたかも神道であるかのように見せ、実際はキリスト教を隠れて信仰していたのではないかと言われている。正月だけのしめ飾りと違い一年中飾っているそうだ。
漁船と崎津教会

潜伏キリシタンとは徳川幕府下の230年程の禁教の時代を信仰を捨てずに生き抜いたキリシタンのことを言う。なぜ禁教期に信仰を捨てなかったかについては、当時は身分制度が厳しかったが、絶対神キリストの下では殿様も庶民もみな平等であると言う教えが信仰を捨てない源になっていたとガイドさんが説明していた。このガイドさんは博識で記憶力が抜群で、ほとんど休まずバスの中で色々な話をしてくれた。録音して筆記すれば立派な九州の観光案内書が出来上がりそうである。
牛深ハイヤ大橋

熊本県内最長の883mの橋。「ハイヤ」とは当地に伝わるハイヤ節を由来とすると言う。龍が飛び立ているように見えるとガイドさんが言っていた。
橋の袂の「うしぶか海彩館」でお買い物タイム。
この橋が出来たおかげで金比羅山のある島に行くのが随分便利になったそうだ。
カツオ鳥?

牛深港より長島の蔵之元港へフェリーで向かう。
フェリーと競争

長島町のブランド魚は鰹(カツオ)ではなく鰤(ブリ)だそうで、昼食で鰤刺身定食を食べる。
長島の針尾公園展望台

あいにく風が強くなり雨模様になってきたので、展望台には長居出来なかったが、眼下には雲仙天草公園が広がり、「薩摩松島」とも言われる景観を見ることが出来る。晴れていると普賢岳も見えるという。鰤の養殖の囲いも見える。この展望台のトイレは全面ガラス張りで用を足しながら景観を眺めることが出来るという。2~3名の女子ツァー客が試しに行って喜んで帰って来た。
伊唐大橋

平成8年に完成した長島と伊唐島を結ぶ橋。
雲仙天草と伊唐大橋と竹島を結ぶ橋を望む

この後長島から鹿児島県の阿久根市を結ぶ黒之瀬大橋を渡り鹿児島の霧島温泉に向かうのだが、連れが途中の道の駅でまた爆買いをして、バスに戻る途中転倒して手首を骨折するという異常事態となった。自分は雨模様でもあり買い物に興味がないのでバスで待っていると、他のツァー客の人が奥さんが大変だと言って飛び込んできた。慌てて行くと、顔面から血が出て手首が骨折しているようだが、買ったお土産の中にはビン等割れるものがあったが無事で、体を張ってお土産を守ったようだ。後でご主人が一緒なら転倒しなかったのにと言われてしまう。
NHKの大河ドラマ「西郷どん」のメンバーと記念撮影

真ん中に手首にギブスをはめた小さな西郷ドンみたいな人がいるが、骨折の処置後2時間程後で鹿児島中央駅での乗り継ぎ移動時に撮ったもので、まだ正常な表情になっていないので西郷どんの代用で失礼します。
転倒時は道の駅の親切な人達に応急処置をしてもらい、車で30分程の所にある阿久根市の病院に搬送してもらった。病院で点滴を受けてタンカーで運ばれるのを見て、レンタカーでも借りて鹿児島空港にでも飛ばそうかと思案していると、添乗員の人がタクシーで駆けつけてくれて、明日帰京するので一先ず他のツアー客のいる霧島温泉のホテルまで行こうということになった。
霧の上に浮かぶ霧島山

昨夜は阿久根から川内(せんだい)市まで「備薩おれんじ鉄道」に乗り、そこから九州新幹線で鹿児島中央駅まで行き、最後は特急霧島で霧島神宮駅まで乗り継ぎ、タクシーでホテルまで行くというルートで、ホテルに着いたのは夜の10時過ぎで、ホテルの食事も終わっており、温泉に入る気も起らなかった。霧島神宮駅に着いた時は無人駅なので近くに民家もなく、途方に暮れたらタクシーの番号案内が貼ってあり何とかタクシーを呼ぶことが出来た。
阿久根市の病院では「Railwaysかぞくいろ」が阿久根市を舞台としたローカル鉄道(おれんじ鉄道?)の話で近く封切される映画だそうで、看護婦さんから怪我をしたけど鹿児島を嫌いにならないで映画見てねと励まされたと言う。帰ってからも皆の親切に感激してまた九州に行きたいと言っている。
霧島神宮

翌朝霧島神宮に行く。早朝だったので厳かな雰囲気があり、事故の事を一時忘れさせてくれるようであった。体を動かした方が良いということで、妻もバスから降りて参拝することにした。
さざれ石

国歌にも歌われている石だが、出雲大社でも見かけた。
霧島神宮

巫女が参拝者のための準備をしている。
手水舎と御神木
霧島神社本殿

早朝なのでまだ参拝者が少ない。妻が持ってきた御朱印帳に貼る御朱印を受け取る。
霧島神宮の紅葉と大鳥居

皆より早めにバスに戻る。この後 鹿児島の城山公園にバスで向かう。
西郷洞窟

城山にバスで登る途中車窓より西郷隆盛が西南戦争で敵の手を逃れ5日間程隠れたという洞窟を撮る。隆盛はこの後最後の戦いに出るが流れ弾で負傷し、自決することになる。
城山公園からの桜島と鹿児島市内を望む

城山は西南戦争最後の激戦地であるが、現在は桜島や鹿児島市街地を一望できる憩いの場となっている。
この後鹿児島の東洋のナイアガラとも言われる「曾木の滝」に向かう。
曾木の滝

大分県の「原尻の滝」も東洋のナイアガラと言う別名があり競っているようだ。九州にはそれ以外に面白い滝が多くあり、テレビの「西郷どん」のオープニングで使われている滝は「雄川の滝」と言い鹿児島市の南方にある鹿屋市にある。
曾木の滝

確かにこの辺りは小さなナイアガラのように見える。
曾木の滝

滝後方に見える一本の木が面白い。
青井阿蘇神社

阿蘇熊本空港に行く途中、熊本県人吉にある青井阿蘇神社に寄る。
青井阿蘇神社楼門

寄棟造茅葺の門で国宝に指定されている。山形の羽黒山三神合祭殿でも見たことのある茅葺き屋根の珍しい楼門である。
青井阿蘇神社 拝殿

着物を着た参拝者もいた、七五三にはちょっと歳が行っているようだ。
ここでも御朱印を妻の代わりに購入。

怪我をしたがツァールートを全て完遂して、熊本空港から帰路に着く。骨折したのは、何時も一人で家事をしている妻に神様がしばらく家事から解放されるようにと休息を与えてくれたのだと言うことになっているが、5週間後ギブスが取り外されたが、まだ痛いと言って何かと家事を言い付けられるこの頃である。
そう言えば昨年行った九州の高千穂峡や今年行った山形の羽黒山の神社でも怪我をしたツァー客がいたのを思い出した。ツアーに参加する時は注意しましょう。

戻る