2017年12月 妻が九州周遊の格安ツアーを見つけたので行くことになった。このツアーは3泊4日で九州の6県を廻るというハードな旅程だが、熊本城や阿蘇周辺等を廻り自分はまだ行ったことがない所がカバーされているので話に乗ることになった。ツアーなので朝早くから起きなければならず、お土産屋さんに案内されたり、時間が拘束されたり、食事付きで食べ過ぎたりするのだが、一方翌日の運転の心配をしないで前日夜飲めるし、旅費が安くすむ(このルートだと個人旅行では2倍以上費用が掛かるような気がする)のでまた良い企画があれば参加してみたいと思った。 |
1日目 太宰府天満宮 福岡空港到着後、ツアーバスですぐ大宰府天満宮に向かう。 |
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天満宮の太鼓橋 この太鼓橋は3つの橋からなっており、最初の太鼓橋は過去を表し振り向いてはいけない、真ん中の平橋は現在を表し、最後の太鼓橋は未来を表すという事を添乗員の方が説明してくれた。 |
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平橋の所にあった楠 境内には多くの楠があり中には樹齢1,000年を超えるものもある。 |
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心字池 上から見ると”心”という字に見えるというのだが、橋の上からでは確認できなかった。 |
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大宰府天満宮本殿 京都の北野天満宮と並び称される全国天満宮の総本社とされ、学問の神・菅原道真をまつる。京都の北野天満宮でも探したが、ここにも御神牛が境内の何処か10ヶ所に鎮座しているらしいが、時間がないので宝物殿横に鎮座している御神牛しか見つけることが出来なかった。 |
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大楠 境内最大の大楠で天然記念物である。樹齢1,500年を超えるとも言われている。 |
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石鳥居と女子修学旅行生 外は結構寒いのだが、鳥居前にミニスカートの一群が並んでいたので、パチリ。 この時期 九州は修学旅行生が多く、いたる所で見かけた。 |
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菅神(菅原道真)の故事がある伝衣塔の落ち葉 天満宮の近くにあり、重森三玲の庭園があるという光明禅寺に向かうが、写真撮影禁止で諦める。大宰府にはこの他見るべき所が多々あると思うが時間の制約があり、大宰府での昼食に食べてみてと添乗員の方に勧められたうどんを食した後バスに戻る。 |
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日田豆田町 大宰府で昼食を取った後、大分県にある日田豆田町に向かう。 日田豆田町は伝統的建造物群の保存地区に選定されている小京都のような所であるが、ここでは酒蔵などを案内され、お買い物がメインに設定されていたようだ。添乗員さん(女性)も買ったので40度の焼酎「ひたごころ」(下心ではない)をつられて買ってしまう。 |
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日田下駄 上町通りと御幸通りに挟まれた横小路が何本かあり、お土産屋さん等が目を楽しませてくれる。 |
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魚町(いおまち)通り 通りには煎餅やさん、醤油屋さん、人形屋さんなどがあり天保、慶応年間に建てられた古い建物もある。 |
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天領ひな御殿 豆田御幸通りにある天領ひな御殿を訪れる。ここもお買い物スポットでべっ甲製品が売られていたが高いので敬遠する。 |
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天領ひな御殿 200年以上前のものから近代のお雛様約3,000体以上を公開している。 |
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天領日田資料館前より バスに戻らなければならない時間が近づいて来たので、慌てて戻る。 今日はこれから今夜の宿泊先になる熊本の阿蘇温泉郷に向かう。 |
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バスの車窓より 添乗員さんの説明では熊本地震の影響で地滑りした山肌らしい。 阿蘇のカルデラ周辺を走ると一瞬北海道に来たような気になる。 |
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バスの車窓より 阿蘇くじゅう国立公園に入ると、標高が高いためか雪がチラついてきて、道の両脇に所々雪が残っていた。九州に来て今年の初雪にお目にかかるとは。。。 |
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二日目 高千穂峡 朝8時前の出発で、朝5時起きだった。午前9時半頃宮崎県にある高千穂峡に到着する。 |
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神橋 大正時代に木造で造られた橋だが、その後石造りとなった。人は歩けるようであるが、車が通れるか不明。車で走りたいとは思わないが。 |
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高千穂大橋 高千穂大橋を見上げる。この後方にある平成に入ってから造られた神都高千穂大橋が完成してから、昭和に造られたこの高千穂大橋を利用する車が少なくなり影が薄くなったそうだ。 |
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高千穂峡渓谷(五箇瀬川渓谷) 10万年前程の2度の阿蘇の大噴火により噴出した高温の軽石流が五箇瀬川の渓谷沿いに流れ固まり柱状節理となったものという。 阿蘇は当時富士山よりも大きな火山で、火山灰は北海道まで届き、火砕流は当時陸続きだった山口の秋吉台まで届いたと言う。 |
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仙人の屏風岩 高千穂峡の柱状節理。 手前の大石はこの辺りで悪行を働いていた鬼八という者が力自慢で投げた力岩と言われている。 |
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真名井の滝 日本の滝百選に選ばれている。近くの「おのころ池」の水が流れ落ちて滝になっている。 |
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真名井の滝 ボートで滝の近くまで行くことが出来るが、滝の下で滝行修行をしてはいけません。 |
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真名井の滝 ここの貸しボートはカップルに人気があり、この日もカップルばかりだった。 高千穂峡を後に熊本城に向かう。 |
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修復中の熊本城が見えるレストランで昼食 馬刺し付の昼食。妻が食べれないので頂きました。 |
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戌亥櫓と倒壊した石垣 ボランティアのガイドさんの説明を聞きながら周る。 |
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戌亥櫓と宇土櫓 建物自体はそれほど壊れていない。 |
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修復中の熊本城とカラス 熊本城は日本三名城、日本三堅城の一つだが、完全修復には20年以上かかるとも言われている。 |
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加藤神社大鳥居 加藤清正公を祀る神社。 加藤清正は築城の才に長けていただけではなく、土木、治水、産業の奨励保護など名君として誉れが高い。 |
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加藤神社境内の巨木 |
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修復中の宇土櫓石垣 熊本城は地震で大きな損害を受けたが、新しい建造物が倒壊し、古いもので壊れていないものがあったりして、当時の築城技術の高さが証明されたとガイドさんが説明していた。 |
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二の丸広場にあった大きな木 熊本城を後に熊本港よりフェリーで長崎の島原雲仙温泉に向かう。 |
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フェリーにて 松島の観光船でも経験したことがあるが、ここのカモメもこのフェリーを住み家とし生きているようだ。船内でカモメの餌用にカッパ海老せんを売っているが、この女性は餌やりがとても気に入ったようで3袋もあげていた。カモメの主食にはどうかなと思っていたら、カモメは海水の塩味になれているので大丈夫でしょうとの事でした。なるほど!? |
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島原湾のノリ網群 有明海や島原湾ではノリやワカメの養殖が盛んと言う。 |
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カモメと薄明光線 約30~40分の船旅で夕方島原外港に到着後、宿泊予定の長崎の雲仙温泉に向かう。 |
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雲仙地獄 お糸地獄辺り 夕食前の時間を利用してホテル近くの雲仙の地獄谷に向かう。 |
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キリシタン拷問の碑 近くにはキリシタン殉教の碑もあるが、ここは雲仙地獄の噴き出る熱湯でキリシタンを拷問した場所で、拷問で33名の命が奪われたという。 |
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三日目 朝日が映える有明湾 午前9時頃仁田峠に到着。 |
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雲仙岳 平成新山 火砕流で焼けただれた山腹。植林など自然を戻そうとしているが、まだまだ時間が掛かるそうだ。 |
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仁田峠より島原市と有明海方面を望む 海の向こうに見えるのは阿蘇五岳か? この後愛野展望台に向かう。 |
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愛野展望台から面白い雲を眺める この近くにあるカステラの和泉屋でお買い物タイム。自分は愛野展望台で写真撮影。 |
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愛野展望台より橘湾を望む 船が網でも流しているのか円を描いていた。この展望台には昭和天皇が3度訪れたとある。 お土産を沢山買い長崎市内に向かう。 |
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平和記念公園 オプションで南山手地区観光があったが、我々は何度か行っているので自由行動で路線電車に乗り、平和記念公園を訪れる。 |
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平和記念像 この像のポーズは一度見たら忘れられない。 掲げた手は原爆の脅威を表し、水平にかざした手は平和を願うと言う。 |
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平和記念象とツバキ(?) | |
永井隆博士の住んでいた如己堂(にょこどう) 添乗員の方にバスの中で聞いた話を基に如己堂を探す。 永井博士は戦前長崎医大で放射能の研究をしていて自身も放射能に侵されていたが、昭和20年8月長崎で自身も被爆し、原爆で妻も失うが被爆者の救護活動を行う。その後この如己堂に移り住み病身ながら平和活動を続け43歳で亡くなったという。 この後 永井隆記念館を見学。 |
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浦上天主堂と原爆で落下した旧天主堂の鐘楼 如己堂から近くにある浦上天主堂に向かう。 |
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浦上天主堂 浦上天主堂は戦前は東洋一の教会と言われていたそうだ。昭和20年の長崎の原爆投下で爆心地の至近距離(爆心地から約500メートル)にあったため殆ど原型を留めぬほど破壊され、多くの信徒を失ったと言う。 教会内で被爆マリア像を見ることが出来る。 |
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旧天主堂遺構 天主堂の横には旧天主堂にあった遺構が保存されている。 この後原爆落下中心地に向かう。 |
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原爆落下中心地碑 この遺構は浦上天主堂の外壁の一部だそうだ。 |
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日本二十六聖人記念館 路線電車に乗り長崎駅前で降り、日本二十六聖人殉教地を訪れる。 ここはキリシタン禁止令で秀吉によりカトリック信者26名が磔の刑に処された殉教地であり、広場には等身大の26名のブロンズ像のレリーフがある。 |
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日本二十六聖人記念館と飛行機雲 この日は晴天で真っ青な空に飛行機雲が一直線に伸び面白かったので、飛行機雲をモチーフに写真を撮る。 |
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副済寺の観音像と飛行機雲 I | |
観音像と亀 近くには勝海舟が長崎海軍伝習所にいた頃住んでいた本蓮寺があり、その近くの聖無動寺には当時の勝海舟の愛人お久の墓がある。お久の墓を探したが、急斜面にある墓地で探すのを諦める。 |
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副済寺の観音像と飛行機雲 II この後長崎駅近くで長崎ちゃんぽんと皿うどんの昼食を取る。食べた皿うどんは堅焼きそばのような感じでとても美味しかった。 この九州旅行では九州ラーメンを一度も食べず、不思議とうどんが多いことになった。 昼食後時間があまりないが路面電車でオランダ坂に向かう。 |
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オランダ坂 オランダ坂の入口まで来たが、ツアーの人達と合流し眼鏡橋方面に行くことになっていたため、早々に長崎駅の合流場所に戻る。 |
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眼鏡橋 川面に映る橋を一緒に見ると眼鏡のように見えることから付けられた名前。 |
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ハートマーク 眼鏡橋沿いの石垣にはめられたハートマークの石の記念写真を撮る女の子達。 |
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稲佐山にあるホテルより望む長崎の夕景 狭い山道を走りようやくホテルに到着。この稲佐山のホテルに来る途中には福山雅治の実家があり、長崎には芸能人など有名人が多いと添乗員さんが何人かの名前を挙げたのだが誰だったか忘れてしまった。 長崎港右手には豪華客船が停泊しているようだ。 |
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長崎駅構内のイルミネーション この日ホテルでは夕食が出ないので、夕食を食べに長崎市内に出向くと、もう街はクリスマスムード。 |
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ホテルラウンジからの長崎夜景 長崎の夜景は2012年日本の民間団体による夜景サミットで 香港、モナコと共に世界新三大夜景に選ばれたと言う。 以前から一般に 香港、函館、ナポリが世界三大夜景と言われているが、世界的に使われている言葉ではないようだ。 |
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四日目 ホテルレストランより 朝食を取っていると長崎市内の方から朝日が昇って来た。豪華客船はまだ停泊しているようだ。 食後、佐賀県の祐徳稲荷神社に向かう。 |
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祐徳稲荷神社 自分は知らなかったが、祐徳稲荷神社は伏見稲荷や笠間稲荷と共に日本三大稲荷の一つに数えられる由緒ある稲荷神社だそうだ。 |
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祐徳稲荷神社本殿を望む 山壁に造られているので変わった構造をした建物であり、石壁神社とも言われるる。 |
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山の上に奥の院があるというので行くことにする。 | |
奥の院までの道のりは結構きつい登りである。 | |
奥の院から鹿島の街を望む | |
奥の院 妻も何とか上ってきたが、後でツアーの添乗員が そこまで行ったなら、そこはパワースポットなので宝くじでも買うように勧められる。 |
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祐徳稲荷神社楼門 祐徳稲荷を後に最後の訪問地である福岡の柳川に向かう。 |
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柳川の舟下り 柳川は鰻が有名で、昼食に鰻を食べる人が多かったが、朝食を食べ過ぎで鰻はパスする。蕎麦屋を探したが見つからず、又うどんになってしまった。 |
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柳川舟下り この家は船頭さんによると、柳川藩主の別邸「御花」を所有する柳川藩主立花氏の子孫の方の自宅とか。 |
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柳川舟下り 船頭さんは50歳ごろ船頭に転職したと言う。歌を歌ったり、飛んだり撥ねたりパホーマンスもしなければならず、好きでなければやれない仕事である。 |
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柳川舟下り 堀の両脇には様々な木々が生い茂りその下を船が滑り込み、見せ場を作ってくれる。 |
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柳川舟下り 柳川は北原白秋が生まれた所でもあり、白秋の生家も見学できるが、時間がないので諦める。 |
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柳川舟下り 柳川舟下りを終え、全日程を終了し一路福岡空港に向かい帰路に就く。 充実した4日間の旅でした。 |