東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery II 旅の記憶 京都写真紀行 2016

戻る

我が家の歴女は昨年京都に行った時、仁和寺で御朱印帳なるものを購入して これからこの御朱印帳が京都の神社仏閣の御朱印で一杯になるまで京都に出掛けると言ったものだ。自分は京都観光で有名な神社仏閣には殆んど行ったと思うので また同じところに行き拝観料を取られるのかと考えると抵抗があったが 京都だけでも数千の神社仏閣があり、御朱印帳が何冊あっても足りないのが分かった。京都の神社仏閣や街歩きの本を何冊か買って調べると、まだ行っていない所で面白そうな所が結構あるのも分かった。
今回たまたま家族で京都でのお祝いの席に招待されたので 短い期間だが京都で寺や神社を廻ることにした。写真は記念撮影が多く、あまり撮れなかったので東京江戸散歩風の街歩きのような掲載になってしまった。

建仁寺の風神雷神図(レプリカ)

10月13日午後京都に着くと 夜の宴席の約束の時間まで余裕があるのでホテルからさほど遠くない所にある建仁寺を訪れることにした。
有名な俵屋宗達の風神雷神図であるが、本物は今日泊まる予定のホテルの近くにある京都国立博物館に寄託されている。
海北友松の「雲龍図」襖絵

この他 橋本関雪筆の方丈襖絵などが見られる。
建仁寺の方丈前庭「大雄苑」

枯山水様式の庭で白砂に15個の庭石が配置されていると言うが、確認できなかった。
   「大雄苑」でくつろぐ人々

京都はさすがに国際都市で海外からの観光客が多い。
建仁寺 潮音庭の三尊石

潮音庭はどの方向からも眺められるようにデザインされた庭で、紅葉の頃はその価値をさらに増す。
建仁寺 「大双龍図」

小泉淳作筆の法堂大天井図 
六道珍皇寺に向かう

建仁寺の近くに六道珍皇寺があるので訪れることにする。
六道珍皇寺

この辺りは死者を葬送する野辺送りの場所で「六道の辻」と言われ、この世とあの世の境であったと言う。
小野篁(たかむら)の冥土通いの井戸(非公開)

小野篁は昼は高官で嵯峨天皇に従え 夜になるとこの井戸から冥土の閻魔大王に仕えるため通ったと言う伝説がある。
通常この井戸は非公開で特別拝観時(毎年11月の特定日)に見ることが出来るようだが、特別にちょっと見せてもらった。
幽霊子育て飴

六道珍王寺から六波羅蜜寺へ向かう途中、自分は知らなかったが、京都で有名な飴だと言う幽霊飴の店を発見したので ちょっと寄って買ってみる。
八坂神社

時間がまだあったので八坂神社に寄ってみる。
「祇園さん」の名で親しまれている八坂神社は全国に3,000程ある祇園の根本神社である。祇園祭で有名であるが、自分はまだ祇園祭は観たことがない。
西楼門

4時過ぎで 残念ながら御朱印はもらえなかったようだ。
ホテルで招待してくれたファミリーと落ち合い、夕食をご馳走になるので、そろそろ引き揚げることにする。
料亭「菊乃井」にて

生き鮎 塩焼きで頂きます
京都国立博物館 10月14日朝

ホテルの部屋から京都国立博物館が見える。前の道を女子学生が大勢歩いていくが、その先は乙女坂と言い その先には女子高や女子大が集まっている所で、京都の男子学生には羨望の場所らしい(タクシーの運転手が若い学生の頃の思い出を話してくれた)。
巽橋

二家族なので7人乗りのワゴン車のタクシーを雇い、重森三玲庭園美術館に向かうが、途中巽橋の所で2~3分停車してもらい祇園の街をスナップ。
白川南通り
辰巳大明神と新橋通り
重森三玲庭園美術館

事前完全予約制で10人程が午前と午後に分けて説明付きで見学出来る。狭い所なので 何かと気を使いゆっくり写真を撮れなかった。
重森美玲庭園

重森三玲は昭和初期の作庭家で東福寺の方丈庭園など枯山水庭園の造園で有名である。初めは画家を志し、ミレーにあやかって美玲と改名したと言う。
枯山水

シャープのアクオスのCMで吉永小百合が眺めていた庭だそうだ。この場所は近くにある吉田神社の社家であった鈴鹿家の所有だったものを三玲が買い取ったものだと言う。
茶室 好刻庵 波の襖絵

いたる所に取り扱いの注意書きなどがあり、長居すると粗相しそうなので早々に退散し、晴明神社に向かう。
   晴明神社 天地五行

陰陽師であり、天文博士でもあった阿倍晴明を祀る神社。娘が以前来た時のお札を返したいと言うので寄る。晴明の桔梗の☆印(五芒星)が神社の御神紋である。
晴明神社の一条戻橋

浄蔵という天台宗の僧が父の死に目に会うために急いで戻って来たが、既に一条土門橋(晴明神社の近くにある)を渡る父の葬儀の列が進んでいた。棺桶に縋りつき父を生き返らせてくれと叫ぶと、一時的に父が生き返ったと言う伝説をもとに戻り橋と言う名に改められたと言う。
小野篁の冥土通いの井戸といい、一条戻橋といい あの世とこの世に関係がある所を訪れることになってしまった。
御朱印をもらうことが出来たので次の目的地 北野天満宮に向かう。

タクシーの窓より

北野天満宮に向かう途中芸者さんらしき人が白壁沿いに歩いて絵になると思ったので、一時停車してもらい タクシーの窓から撮る。
北野天満宮 楼門と秋空

菅原道真公を祀り天神様と慕われている。全国に1万2千社程ある道真を祀る神社の多くは、北野天満宮から御霊分けしたものと言う。
立った牛を探しましょう

タクシーの運転手が 色々な所に牛の彫刻や像があるが みんな臥牛である(道真公の遺骸を運んだ牛が座り込んだと言う逸話による)。 立っている牛が一つあると言うので皆で探す。
北野天満宮三光門

重要文化財
三光門内部

色々な彫刻が刻まれているが、この反対側には三日月、日の出、日の入りの彫刻が施されており、星欠けの三光門と言われている。
北野天満宮本殿(拝殿)

拝礼は腰を90度にまげましょう。
この拝殿の欄間に立ち牛が刻まれていた。
この拝殿の裏には「御后の未三柱」と言う御神座があり、そちらも本殿なので拝礼しなければならない。
大黒天の灯篭
石は必ずのると言うけれど

大黒様の口に小石をのせれれば、お金に困らないと言う。灯篭の下には小さな石が多数落ちており、失敗した残骸と思われる。自分も試してみたが、何度目かにようやくのった。 のった石を持ち帰ってお守りにすると良いと言われたが、どこかで紛失してしまった。お金には縁がない様である。
「落ちない」と言うことで受験生にも人気があるようだ。
天井に絵馬

絵馬所には天井から壁まで所狭しと絵馬が掛けられている。御朱印ももらえたので、近くにあるポルトガル人のご主人がやっているカステラの店 カステラ ド パウロに向かう。
カステラ ド パウロ

京都でカステラ造りの職人だったポルトガル人のご主人が、ポルトガルに帰り 日本のカステラの店を出していたが、最近奥さんの地元である京都に帰ってきて北野天満宮の近くに店を出すことになった。雑誌やテレビでそのことを知った女性陣が是非行きたいと言うことで、北野天満宮に行くというよりは、こちらが本命だったようだ。
   杉本家(重要文化財)

天満宮の後 京の代表的な町屋杉本家に寄る。
もとは呉服商「奈良屋」として江戸時代より繁盛した商屋である。
杉本家の座敷庭

料理研究家の杉本節子の町屋として最近テレビや雑誌で取り上げられているようだ。
琥珀流し

タクシー観光を終え、甘味処「栖園」で一服。
宝蔵寺

「栖園」からそれ程遠くない所に、期間限定で髑髏の御朱印を貰える宝蔵寺があると言うので探すが分かりずらい所で、スマホの道案内でようやくたどり着く。
髑髏の御朱印

これが髑髏の御朱印。朱印は御朱印帳に押してくれるのではなく、あらかじめ押された用紙を御朱印帳に張り付ける様になっている。宝蔵院は伊東若冲の菩提寺であるが、本人の墓は別の所にあるようだ。
舞妓さん

夜ホテルのレストランで食事をしていると舞妓さんがサービスでテーブルを廻って来たので、みんなと一緒の写真などを撮らせてもらう。
養源院 10月15日

朝ホテルの近くの養源院を訪れる。血天井と俵屋宗達の杉戸絵で有名。
血天井は倒れた時の横顔の形が見えると言うのだが自分には良く分からなかった。源光庵の血天井の手形の方がはっきりしていたように思う。
俵屋宗達 「白象図杉戸絵」

入口からは入った所にあったので写真を撮ったが撮影禁止であった。光って写っていないので良しとしよう。住職さんが説明して回ってくれたが、一日中同じことをしゃべるのは大変だろう思ったら朝一だけで、その後は録音テープによるようだ。この白象についてはなぜ象が白いかについては諸説あるようだが、妻は宗達と角倉素庵の友情物語に感銘を受けて 今度来るときは素庵がライ病で隠棲していた嵯峨野にある千光寺に行くと言っている。
国宝三十三間堂

近くの三十三間堂に寄る。千体の観音立像や観音二十八部衆像など見事な像があるが、写真は撮れない。
タクシーで瑞泉寺に向かう。
   瑞泉寺

太閤秀吉の家督を継いだ甥秀次が秀吉に子供(秀頼)が誕生したため疎んじられ、最後は切腹させられ、一族39人も処刑された。その一族を弔うために角倉了以(素庵の父)が建立した寺と言う。御朱印は取り扱っていないようだ。
タクシーの運転手が50年この商売をやっているが、この寺を指示されたのは初めてだと言い、お客さんはさぞ京都に詳しのでしょうと、道すがら三十三間堂や瑞泉寺の事など話してくれた。
「秀吉さんは亡くなる頃は気がおかしゅうなっていまはって」などと ご近所の人の話をしているような口ぶりで史実を話すので とても面白かった。
あじき路地

瑞泉寺の後 妻が「あじき路地」に行きたいと言うのでタクシーに乗るが、運転手もあまり良く分からないようだ。その辺りで降りて場所を尋ねるので聞いた人が安食さん御本人だった。あじき路地は20~30メートル程の小さな路地だ。最近雑誌などで紹介されている所で、安食さんが若いアーティストに町家長屋を安く貸して支援している。
自分は用事があるので東京に一足先に帰るので ここで家族と分かれる。その後どうやらここにある店で帽子の制作依頼をしたようである。
木屋町通り

別れてから四条河原町方面まで歩く。途中観光客以外でも着物を着ている人を良く見かけるが、京都は着物の良く似合う街だと思う。
先斗町

今日が初座敷で御礼詣りをしている芸妓さんのようだ。

もっと街歩きをしたかったが、新幹線の時間が迫っているので京都駅に向かう。

戻る