東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery II 旅の記憶 日光鬼怒川ファミリーヒストリー

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妻の母の父親は幼いころ栃木県の鹿沼から東京に養子に出されて、生前は鹿沼に行きたいと言っていたようだが、果たさず亡くなったそうだ。我が家の歴女(妻)のお気に入りの番組の一つに「ファミリーヒストリー」と言うのがあるが、最近他のお気に入り番組「ふるカフェハルさんの休日」で鹿沼のふるカフェのことをやっているのを観て、鹿沼に行ってお祖父ちゃんのルーツを調べたいと言い出した。鹿沼には何もつてがないし、戸籍に載っているのは古い町名で何処にあるかも分からないので多分無理だろうが、ふるカフェぐらいは探せるだろうと思い、1週間ほど前帰省して疲れがたまっていたので近くの鬼怒川温泉に泊まり温泉三昧も良いかなと思い行くことにした。ところが幸運にも意外に簡単にルーツを辿ることが出来、時間が余ったので日光東照宮や中禅寺湖、龍王峡など予定していなかった所に行くことになり 写真も撮ることが出来たので旅の記憶として掲載することにした。

鹿沼 今宮神社(4月19日)

一日目は鬼怒川温泉に行く途中鹿沼市に寄り、明日の探索の下調べをするため、道の駅に車を置き鹿沼市役所に出かける。市役所は今宮神社の近くにあり、あまり忙しくなかったのか2,3人戸籍課の人が出てきて古い住所を見て、現在の地図のこの辺りではないかと議論し始めた。おおよその場所が分かったので、車でその辺りまで引き返すことにした。例幣使(れいへいし)街道沿いなのだが、あまり人も歩いていなくて最初は途方に暮れていたが、たまたま車で買い物から帰って来た女性が家に入る所を捕まえて、祖父の父親の名前を示しこの辺りに住んでいたはずだと言うと、その女性の両親が祖父の父親から今住んでいる土地を買ったと思うと言う。さらにこの辺りで昔のことを良く知っている人の家まで案内すると言てくれた。
今宮神社本殿

京都の今宮神社には数か月前に行ったのだが、あぶり餅の印象しかなく、多分参拝していなかったと思うので、ここですることにした。

案内してくれた先の家の人は残念ながらその当時のことはあまり覚えていなかったが、別の家を教えてくれたので、土地を買ったと思うと言う女性と一緒にそこに出掛けると、その家の主人が最近退職して作ったと言う家系図を見せてくれると、なんと祖父の名前も載っているではないか。血が繋がっている人に会えたと歴女感激で泣き出す始末。どうやら江戸末期例幣使街道沿いで本陣を構えていた名家の本家を継いでいる人のようで、自分で家のルーツを調べていたようである。それから色々話を聞くことが出来、当初の目的の大部分が初日に解決してしまった。
日光東照宮(4月20日)

当初の目的の大部分が初日で解決したので、翌日はどこか観光に行こうと言うことになった。
鬼怒川温泉から日光東照宮、いろは坂を上がり中禅寺湖まで足を延ばし、お土産を買って帰り鹿沼に寄り世話を焼いてくれた皆さんに御礼をしようと決めて出発。これから何回か走ることになる例幣使街道の日光杉並木を走る。例幣使街道は徳川家康の没後、東照宮に幣帛(神に奉献するもの)を奉献するための勅使が通った道であり、街道沿いには当時多くの宿場があったと言う。
最初は日光東照宮に立ち寄る。
日光東照宮の巨木
東照大権現の石鳥居(重文)

元和4年(1618)筑前藩主黒田長政公により奉納された。昔来たことがあるはずだが、ほとんど覚えていない。
五重塔(重文)
慶安3年(1648)に小浜藩主酒井忠勝公により奉納されたが、火災にあい後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公により再建された。
五重塔の彫刻

本殿内は工事中だったので、拝観はパスして、華厳の滝に向かう。
いろは坂

40年ぶりにいろは坂を車で上って来たが、カーブが多くてさすがに疲れる。上下48ヶ所のカーブがある(いろは坂はいろは48文字に例えてつけられた)。秋の紅葉のシーズンの渋滞は有名である。
華厳の滝と中禅寺湖

途中明智平の駐車場に車を止めロープウエイに乗ってみる。
山頂の展望台からは華厳の滝と中禅寺湖が眺められる。後方の雪をかぶっている山は男体山であろうか。
華厳の滝と中禅寺湖

こうして見ると、中禅寺湖の水が流れだして滝になっているのが良く分かる。
華厳の滝

華厳の滝駐車場からエレベーターで降りて、華厳の滝を見上げてみる。
華厳の滝

落差97メートル、日本三名瀑のひとつ。
華厳の滝

滝つぼは暴風雨のようではあるが、エンジェルフォールに比べると物足りない。
中禅寺湖

40年前この湖畔の近くのバンガローに暴風雨の最中泊まった思い出があるが、今日は穏やかな湖畔である。
チビッ子ギャング

歩いていると先の方でおばさんの割烹着を一匹のサルがじゃれついていいるように見えたが、おばさんによればサルと戦っていたのだと言う。この辺りのサルは女だと思うと甘く見て食べ物を強請りに来るらしい。店の自動ドアから店内に入り食べ物を盗むこともある たちの悪いサルということだが、山には食べ物がないので人里に出てくるのかもしれない。
医王寺 金堂

中禅寺湖から鬼怒川温泉に戻る途中、昨日お世話になった人達にお土産を買ったので鹿沼に寄る。
家系図を作ったご主人はいなかったが、奥さんと話していると近くに一族の墓があると言い、連れていってもらう。しかし墓標の戒名が分からないので祖父の父の墓を特定できなかった。何キロか先に菩提寺の医王寺があるから行ってみたらと言われ、急きょ車を走らせ医王寺に行く。
医王寺の唐門と講堂

なかなか立派なお寺で素晴らしい仏像を数多く安置している。
副住職に会うことが出来て、過去帳で調べてくれたら祖父の父親の戒名が分かった。普通はこんな簡単には分からないのだが、これは御先祖さまのお導きがあったからでしょうと言われた。
一族の墓に戻り戒名を調べたところ朽ち果てた墓標に医王寺で探し出した戒名を発見した。
これで今回のファミリーヒストリーの目的は達成した。
Cafe 響茶庵

次に鹿沼の古民家カフェを探すことになった。最初車で近くまで行ったが分からず諦めようと思ったが、また鹿沼の道の駅に駐車してスマホの道案内で歩いて探すと、路地裏にありました。お店の人にテレビに出演しているのを見たよと話し(この番組は素人の人が出演している)、番組の内輪話などを聞きました(さすがNHK、ギャラは出さないし、店の名前も分からないようにしているようだ。おかげで探すのに苦労した)。
暗くなってきたので、慌てて例幣使街道の昼でも暗い杉並木道を鬼怒川温泉に向けて走り続けたが、ホテルに着いたのは午後7時過ぎになってしまった。
鬼怒川公園のサクラ(4月21日)

翌朝サクラで有名な鬼怒川公園に行ってみた。東京ではサクラはもう散っていたが、この辺りはまだ桜が満開だった。
以下鬼怒川公園の桜のショット。
この公園の桜はヨシノザクラとシダレザクラが主で山桜は見かけなかった。
鬼怒川公園のサクラ

今年は東京ではあまりサクラを撮る機会がなかったので丁度良かった。
鬼怒川公園のサクラ
鬼怒川公園のサクラ
鬼怒川公園のサクラ)
鬼怒川公園の水仙

この後 川治温泉方面に向かい龍王峡に行く。
龍王峡の新緑
龍王峡の新緑

トレッキングするつもりはなかったのだが、川淵に降りる途中会った人が1時間位で戻ってこれるよと言うので、川沿いを歩くことにしたが、実際は1時間以上かかった。
虹見の橋

向こうの橋を渡り むささび橋でこちら側に戻ってくるコースである。
虹見橋の向こうには山桜も見えた。
鬼怒川

この川が昨年の大洪水で氾濫したとはあまり想像が出来ない。
鬼怒川

緑ぽい火山灰(疑灰岩)が多いせいか、川の水が青緑色に見える。
龍王峡

むささび橋を渡った先の茶屋の主人と話をすると、川が氾濫した時の写真を見せてくれた。むささび橋のすぐ下まで水かさが増しいる所を、橋の上から撮ったものだが良く写真が撮れたものだなと思う。茶屋の先に良い撮影ポイントがあると言うので進むと、川幅が狭く水の流れが急な所に出た。
この辺りは川幅が狭く洪水の時はかなり水嵩が増したのだろうと想像できる。
堀口大学詩碑の前のツツジ

この辺りで駐車場に戻ることにする。途中正規ルートでない所を歩いたが何とか帰還出来たが、結構しんどいトレッキングルートで、連れは相当疲れたようだ。
ツツジ

栃木県の県花のヤシオツツジであろうか。
温泉三昧の旅が、総走行距離500キロ以上のハードな旅となってしまった。帰って翌日からもハードな日が続き、帰って4日目 朝起きたらプチギックリ腰のような症状になってしまい、未だに後遺症に悩まされている次第。
今度は妻の母方のファミリーヒストリーをやると言われているのだが。

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