Hakone Miyanoshita missing summer

2011年9月初旬 義母と義理の妹の家族と一緒に夏の名残を求めて箱根宮ノ下に家族旅行に出掛ける。 例によって一人で抜け出してカメラ片手に散策するが 一応我が家の首長であり兼運転手なので 時間もなくあまり写真をとる暇はなかったが、いつも行く箱根とはちょっと違う古くからあるノスタルジックな町並みと箱根の自然を堪能できた。 


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到着してホテルの部屋のベランダに出ると 堂ヶ島渓谷を背に蜻蛉が一羽迎えてくれた。
宮ノ下の箱根旧道(東海道)からちょっと奥まったところに夏の木漏れ日がカフェの店先を照らしていた。
皆は宮ノ下の箱根旧道沿いの店(店といっても骨董屋さんが多い)にショッピングに出かけるが、自分だけ別行動を取り、旧道の裏の小道を散策することにする。
空を見上げるとジェット機の白い軌跡が箱根の山の上から垂直に上がっていった。
旧街道沿いに小涌谷方面へ向かう。
芦ノ湖畔にある箱根神社の分社である宮ノ下箱根神社に立ち寄ると、またジェット機が真っ青な空に白い軌跡を残して飛んでいった。
苔むした石柱に鮮やかな緑の模様が面白いので一枚。
斜光線が影をくっきり映していたので神社の鳥居の下に立つ。
常泉寺に向かう坂から堂ヶ島渓谷方面を望む。
常泉寺の向こうにすがすがしい感じの雲が見えた。
熊野神社方面に行こうと道を探していたら 近所の仲良し3人組みが道案内をしてくれることになった。この辺りは昔温泉旅館が多くあったところだが 今は4〜5軒しか残っていない。なかなか趣のあるところだと思うのだが車社会になって表通りに面していないのがネックなのだろうか。 仲間のうちの一人の子の家も以前は旅館だったが今はもうやっていないと言う。
木に蛾が止まっていると言うので良く見ると かれっぱのような大きな蛾がいた。
この辺りの子はさすがに自然に接している機会が多いのか いろいろ虫を紹介してくれたがさっぱり分からなかった。この先はイノシシが出るのでお母さんから行かないようにと言われているという事でここで別れることにする。気を付けてねと言われたがこんなところにイノシシが出るのかと思っていたら 確かにイノシシ注意の立て札が立っていた。
浅間山登山口の看板を左折して下りて行くと熊野神社が現れた。
熊野神社をさらに下り旧箱根街道に出るとすぐ富士屋ホテルがある。英国の日本学者であるチェンバレンは箱根を愛し富士屋ホテルに滞在することが多く、ホテル内に日本研究で集めた蔵書王堂文庫を開設した。
時間がまだあったので堂ヶ島渓谷にあるチェンバレンの散歩道(チェンバレンが良く散歩したという小道)に行ってみようと思い、デジャヴュ坂を下りるが けっこうな道程だ。下には大和屋ホテルがあり客はロープウエーで行き来するようだ。
夢窓橋手前で門番をしていたネコ。
チェンバレンの散歩道はまだこの先を行くようだが日も暮れてきたし結構険しそうだったので引き返す。近々トレッキングをすることになっているので予行演習で 明日時間があれば来てみようと思う。
イロハ階段まで戻って来ると立て札が建っていて「ここからの眺めは絶景なので写真を撮ってください」とあるので一枚。
翌日 仙石原のポーラ美術館でレオナール・フジタの絵画を観た後 芦ノ湖畔にある玉村豊男のミュージアムに行くが、仙石原は良い天気だったが 芦ノ湖に来るとだんだん天気が悪くなってきた。それでも遊覧船が頻繁に行きかていた。
娘が仙石原から芦ノ湖に来る途中また車酔いで気持ち悪いというので 皆を残して二人で箱根神社方面に気分転換に出かけることにする。運転免許は持っているのだが良く免許が取れたものだと思う。
数ヶ月前にもこの神社の横を通って山の上ホテルのツツジを見に来たが箱根神社は今回初めて訪れた。
箱根神社の鳥居と参道。
箱根神社はかっては箱根権現とも言われ山岳信仰の霊地であった。隣にある九頭龍神社にて。
社殿の前の狛犬は苔むして威容を誇っている。
対の狛犬はさらに勇ましい。
参道横には やはり苔むした樹齢千年以上の「矢立のスギ」と言われる巨木が立っている。
矢立のスギの番ネコ。
ホテルに帰ってから再度チェンバレンの散歩道にトライしてみることにした。道は思った以上に険しく良くこんな所を散歩していたかと思うほどの道程で途中散歩している人と出会うことは殆んどなかった。
ようやく谷底の川に辿り着く。かなり急な流れで先には東京電力の小規模水力発電所があった。
何とか宮ノ下の135号線に出る。ホテルに向かう陸橋にバラが一輪咲いていた。バテたのは北海道旅行の後4キロほど増えた体重が減らないせいだと自ら納得し スポーツジムに通うことを決心する。

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